レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

落日の宴 勘定奉行川路聖謨(下)


これまで多くの歴史小説を読んできましたが、ここ2年ほど吉村昭氏の小説を手にとる機会が増えています。

吉村氏の小説は、彼自身の主観が直接的に表現されることが少なく、また登場人物の抱く思考や感情が描写される機会も少ないため、読者を熱狂させる劇場型の歴史小説ではありません。

それよりも主人公たちの辿った足取りやそこで起きた出来事をなるべく細かく忠実に描くことに力を注いでいる感想を持ちます。

作品によっては退屈と感じる場面にも遭遇しますが、そうした何気ないエピソードの積み重ねが歴史を作り上げているという事実に気付いてからは、逆に楽しく読むことが出来るようになりました。

本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)は、幕末にロシア使節プチャーチンと緊迫したハードな交渉を重ねてゆきます。

やがてそれは日本の将来に重大な影響をもたらすものの、実際には地道で遅々として進まない交渉を継続した結果であり、ある日突然飛躍的に成し遂げたものではありませんでした。

プチャーチンと共にこの交渉の中心であり続けた川路を主人公にして劇的な物語を描こうとしても難しいでしょう。

しかし地道でありながらも誠実さを持って確かな足取りを一歩ずつ残して交渉を進めてきたという意味では、記録型の歴史小説を得意とする著者の作風にぴったりの人物であるといえます。

川路は、自分を抜擢し重宝した阿部正弘が病死し、続いて老中首座に就いた堀田正睦が失脚したのちに井伊直弼が大老として実験を握ってからは、幕府の中枢から遠ざけられ高齢で身体が不自由だったこともあり、晩年は不遇の時代を過ごすことになります。

しかし吉村氏は、川路のそんな時代をも淡々と描き続け、倒幕軍が江戸に到着すると聞くやピストルで自らの命を絶つ場面まで筆を置くことはありませんでした。

そこには西郷隆盛や坂本龍馬、土方歳三の最期のように強烈な印象はありませんが、自らのすべてを幕府に捧げ続け、そして力尽きた1人の老人の静かな死は何とも言えない余韻を読者に残すのです。