落日の宴 勘定奉行川路聖謨(上)
幕末・明治維新といえば志士、そして新選組をはじめとした幕府側の剣士などに注目が集まりますが、彼らが後世に残る活躍をするきっかけとなったとなったのが黒船来航であり、その結果として巻き起こった開国論と攘夷論のせめぎ合いであるといえます。
結果的に江戸幕府は倒れることになりますが、幕府の指導者たちははじめから無策であった訳ではありません。
むしろアメリカやそれに続いて来航したロシアとの交渉に際しては、教養と学問を身に付けた有能な幕臣が外国との交渉を粘り強く進めたことは案外知られていません。
その代表格といえるのが本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)であり、彼はロシア使節のプチャーチンと開国、そして領土問題の交渉において大きな成果を収めました。
プチャーチンが長崎を訪れた1853年時点で川路はすでに勘定奉行に就任していましたが、元々は小普請組の小吏という低い身分であり、豊富な知識と冷静な判断力を閣老たちに評価され実力で勝ち取った昇進でした。
またその背景には安政の改革を実行した老中首座・阿部正弘が身分にとらわれず能力第一主義で有能な人材を抜擢したという幸運もありました。
川路は当時すでに50歳を過ぎていましたが、ロシアと交渉するために文字通り日本中を奔走する日々を送ります。
吉村昭氏らしく、一刻を争うような事態へ対して慌ただしく対処してゆく川路の足取りや交渉内容が仔細漏らさず描かれているという印象を受けます。
川路は一流の剣客ではなく、神算鬼謀の軍師といった人物でもありませんでした。
そして何よりも新しい時代を作り上げるという変革を望むタイプではなく、幕府の有能な忠臣といった人物像がもっとも当てはまります。
外国語には堪能でなかったものの、外国事情に通じ、巧妙な駆け引きと聡明な判断力を駆使しながら海千山千のプチャーチン相手に一歩も引かない交渉を進めます。
その中でも作者が特筆した点が、川路の根底にある揺るぎない誠実さであり、プチャーチンは川路を手強い交渉相手と認めながらも、ヨーロッパにも珍しいほどの優れた人物として激賞しています。
それは鎖国政策を続けてきた日本に優れた国際感覚を持った人物がいたことを意味し、それを世間に広く知ってもらうために作者は筆を取ったのではないでしょうか。