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ヒロシマ・ノート

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

大江健三郎氏が1963年から65年にかけて広島を訪れた時の体験を綴った随筆です。

1945年8月6日...。
この広島において人類に初めて原子爆弾が投下された日は、日本のみならず人類史においても特筆すべき出来事でした。

ある作家はこの歴史的な出来事を小説として発表しましたが、大江健三郎氏は「ヒロシマ・ノート」という形で後世に残すことを選択したのです。

すさまじい威力を持った原爆が一瞬で広島の町を壊滅させ、約14万人もの生命を奪ったことは周知の事実ですが、こうして文章に書いてみると余りにもあっけない表現です。

また同時に原爆によって形成されたキノコ雲を遠くから眺めているような、傍観者の表現のようにも感じます。

しかしそのキノコ雲の下で唐突に原爆の直撃に会った人びとにとっては、どんな地獄絵図でも表現不可能な、著者によれば"人間の悲惨の極み"ともいうべき状況が繰り広げられていました。

著者が見聞し本書に収録した原爆にまつわる数々の出来事は、どれも悪夢を超えた悲惨なものですが、それでも広島で起きた惨劇の氷山の一角にしか過ぎません。


1963年に広島に降り立った著者は、第九回原水爆禁止世界大会に立ち合います。
そこには政治的な思惑が入り乱れ、遅々として大会が進行しない状況が繰り広げれ、著者はそこに呆然と立ち尽くし虚しさを覚えます。

そんな中で著者は、原爆投下1週間前に赴任し原爆投下直後から現在に至るまで精力的に原爆症治療にあたる広島日赤病院の重藤医院長、そして大会に際して原爆病院の患者代表として挨拶をした宮本氏の2人に出会うことによって、そこに"真の広島の人たち"の姿を見出し、その魅力に引き寄せられてゆきます。

残念なことに宮本氏は数ヶ月後に原爆症によって亡くなることになりますが、大江氏はこの"真の広島の人たち"を"正統的な人間"とも表現しています。

広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間のイメージがうかびあがってくるように思える。
~中略~
まったく勝算のない、最悪の状況に立ち向かいうる存在とは、やはり、このような正統的な人間よりほかはない。

逆に言えば狂気、あるいは絶望の果の自殺や精神的異常から自分自身を救い出すため、広島の人びとが他にとり得る方法が残っていなかったことを意味しています。


本書に度々登場する"人間の惨劇の極み"は、読者にたびたびショックを与えますが、当事者でない私たちが抱いたその印象は時間の経過とともに薄らいでゆきます。
またすでに被爆者の体験談を聞くことが難しいに時代に入っており、それもやがて不可能になるでしょう。

原爆が起こした最悪の惨劇は、本書に限らず多くの人たちによって発掘され、資料や手記といった形で残っています。

われわれに出来ることは、折に触れて繰り返しそうした記録を読むことで、二度と同じ過ちを繰り返していけないと新たに胸に刻むことなのです。