ぼんやりの時間
忙しい日々を過ごしている社会人や学生、あるいは主婦は多いのではないでしょうか。
近代化と都市化が人びとに便利な暮らし提供するようにしました。
そして人間社会は効率化を追い求め、やがて人間の心を破壊してゆくと著者の辰濃和男氏は警告しています。
仕事や家事、あるいは勉学に追われるというのは昔から変わらないのかも知れませんが、世の中の流れは最近になってますます高速化しています。
代表例としてインターネットの普及が挙げられます。
今さらインターネットの便利さを説明する必要もありませんが、一方で電車に載っている時間や食事の時間、歩いて移動している時間さえもゲームやSNSに没頭する人びとを生み出しました。
本人たちにすればそれは"息抜き"の時間と主張するかも知れませんが、著者の主張する"ぼんやりの時間"とは「何もしない・何も考えない時間」のことを指します。
瞑想とも少し違い、たとえば土手にごろりと寝転がって景色や空をぼんやりと眺めて1日中過ごすというような行為です。
とは言いえ生活のために長時間労働が必要な人も多いはずであり、著者自身も長い間、新聞社で昼夜関係なく働いていた経験を持っています。
1日のうち、1ヶ月のうち数度はたとえ短くともぼんやりする時間をとることは決して無駄ではなく、むしろ生きる糧になるはずだと読者に呼びかけています。
第1章では、騒がしい世間に流されず"ぼんやりの時間"の大切さを体現した偉人たちを紹介しています。紹介されている人たちはざっと以下の通りです。
- 哲学者・串田孫一
- 詩人・岸田衿子
- 作家・池波正太郎
- 詩人・高木護
- 作家・H・Dソロー
- 作家・深沢七郎
- 僧侶・山田無文
中には長い間を放浪の旅で過ごした人、文明に背を向けて自給自足で暮らした人など少し極端な例もありますが、著者に言わせればかれらは"ぼんやりの達人"と言えるでしょう。
第2章では、読者にとっても現実的なぼんやりな過ごし方を紹介しています。
散歩や温泉、または静かで心安らぐ自分の居場所を見つけるなど、比較的容易な方法を例を交えながら解説してくれます。
最後の第3章では「ぼんやりと」と響き合う一文字として、"闇"、"独"、"閑"、"怠"、"懶"について考察しています。
全編に渡って共通することでもありますが、著者は"ぼんやり"を科学的にではなく、哲学的な視点で考察しているのが特徴であり、心を破壊しようとする巨大な近代へ対抗し、よりよい人生を送るために"ぼんやりする権利"の大切さを説いています。
自分の生き方を見つめ直すためにも、忙しく毎日を過ごしている人にほど手にとって欲しい1冊です。