溥儀―清朝最後の皇帝
歴史上はじめて"皇帝"を名乗ったのは、紀元前221年に中国統一を成し遂げた秦の始皇帝です。
それから2000年以上に及ぶ中国史で、最後に皇帝の座についたのが溥儀です。
しかも溥儀はその生涯において3度も皇帝の座に就いています。
1度目は清の皇帝として、2度めは中華民国の皇帝として、そして3度めは日本によって建国された満州国の皇帝としてです。
しかし歴代の殆どの皇帝と溥儀との間には決定的な差があります。
それは溥儀が1度も実権を手にしていないことです。
つまり溥儀自身が命令できる軍隊が存在したことはなく、そのすべてが傀儡としての皇帝という立場だったのです。
その生涯は歴史と運命に翻弄され続けた数奇な人生と表現するしかありません。
清朝末期、満州国の建国という歴史を紐解けば必ず溥儀が登場するにも関わらず、彼の連続性のある生涯を知る機会がありませんでした。
溥儀自身の手による自伝「わが半生」が著名ですが、中華人民共和国の一市民として共産党の監修&検閲の元に書かれた本であるため、歴史的な価値はあっても客観性に乏しい内容であることが容易に想像できます。
その点で著者の入江曜子氏は、19世紀末期から20世紀初頭にかけての清や満州を題材とした本を多く手掛けており、溥儀の生涯をナビゲートしてくれる人物として申し分ありません。
溥儀は多くの民衆たちの尊敬と熱狂を集めた人物であると同時に、それを利用する人間に用済みと判断されるといつ抹殺されてもおかしくない立場でもありました。
そこに溥儀という人間の歩んだ人生を複雑さを垣間見ることができます。
結果的に溥儀は確固たる信念を持つことなく、天寿をまっとうします。
ただし、それだけで彼を愚かな君主として断定することはできません。
溥儀が歴史上重要な役割を担ったことは間違いなく、20世紀に生きた彼の評価を行うには、21世紀に生きる我々にとって時期が早過ぎるのかも知れません。