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考古学の散歩道

考古学の散歩道 (岩波新書 新赤版 (312))

今日も日本各地で遺跡の発掘や調査が行わています。

その作業は大変地道なものであり、大発見でもなければニュースでその成果が報じられる機会はなかなかありません。

一般人が普段接する機会の少ない考古学の現場や発見を肩の凝らない文章で広く世の中へ紹介するために出版されたのが本書であり、当時一線で活躍していた考古学者の田中琢氏、佐原真一氏の両名がエッセーという形で執筆しています。

よって本書で取り扱うテーマは、考古学に関心が無い人でも興味を引きやすい内容になっています。

たとえば現代の日本の人口は約1億2500万人ですが、前期旧石器時代(今から50万年前)にはじめて日本列島で人が生活しはじめた頃の人口は1万5000人程度に過ぎず、縄文時代に入ると15~25万人に増え、前4世紀頃より大陸(朝鮮半島)から移住してくる人びとが爆発的に増え、「古事記」や「日本書紀」が成立する8世紀の奈良時代の人口は、600~700万人と推算されるそうです。

私自身は8世紀の人口は予想よりも多いという印象を持ちましたが、こうした計算は遺跡の分布状況や面積から人口密度を算定して行われるそうです。

また縄文人はおしゃれで、イアリングや指輪、ネックレス、ブレスレットといった装身具を身に付け、西日本では女性が、東日本では男性の方が装身具を身に付けていた割合が高かったそうです。

この時代の装身具は地球上のほとんどの地域でほぼ同一歩調をとっていますが、日本では7世紀後半になると状況が一変し、世界的に見ても異常な装身具欠如の時代が始まり、それが1000年以上も継続するのです。

つまり私たちにもお馴染みのキモノで自分を飾る時代が長く続き、装身具は頭上の笄(こうがい)や櫛などに限られるのです。

多くのピアスや指輪を装着した若者を見て顔をしかめる人は多いかも知れませんが、考古学の視点から見るとキモノの文化はたかが千数百年に過ぎず、耳たぶに大きな穴を開け耳飾りをした縄文人の文化が1万年以上も続いたことを考えると、案外、日本人の抱く伝統の感覚はいい加減なものかも知れません。

何しろ私の何百代も前の祖父がアクセサリーを全身にまとい、顔に入れ墨までしている姿を想像すると思わず微笑まずにはいられません。

ここで紹介したのは本書のほんの触りですが、他にも食文化や太古の自然、考古学や文化財保護の歴史など話題は多岐に渡っています。

読み物として楽しめることはもちろんのこと、考古学の新たな可能性をも感じさせる1冊になっています。