等伯 下
狩野派は室町時代の足利家に仕えてきた経歴を持ち、戦国時代に入ったのちも織田・豊富・徳川に仕え、明治時代へ至るという日本史上最大の画派です。
すでに狩野永徳の代には画壇で絶対的な発言力を持ち、彼は生まれながらにして狩野派の伝統や技法を一身に受け継ぐ運命にあった御曹司として育てられました。
一方で地方(能登)で名声を得ているに過ぎない絵仏師の長谷川等伯は、武士の四男として生まれ養子となったのちに絵を学び始めました。
この対照的な2人が、権力の中心地である京を舞台に天下一の絵師をめぐって対決するというストーリーが本作品の主軸を構成します。
これを圧倒的に逆境の立場にいる等伯側に立って描くという構図は歴史小説として大変分かりやすいのですが、同時にそれだけでは薄っぺらい凡作になってしまう危険性があります。
にも関わらず読者を熱中させる重厚な歴史小説として完成されているのは、よく練られた著者(安部龍太郎氏)のサイドストーリーによるところが大きいのです。
これは詳細な経歴が明らかではない等伯がどのような遍歴を辿り、どのように成長したのかという歴史の空白を埋める作家としての想像力と表現力が優れているからに他なりません。
幾度となく等伯の目の前に現れ、武士として主家の復興に協力するよう促す長兄・武之丞。
等伯を懸命に支える妻の静子、そして静子と死に別れたのちに再婚相手となる清子、父を凌ぐ才能を持った息子・久蔵たちとの家族の物語。
利休や宗園といった精神面で等伯を支えた人物たち。
こうした数々のストーリーが張り巡らされ、作品を読み応えのある重厚な歴史小説に仕立ててゆきます。
それは狩野派へ対抗するために豪華絢爛な絵を描き続けてきた等伯が、のちに彼の代表作となる「松林図屏風」という素朴な水墨画を完成させるところでクライマックスを迎えます。
絵師として野望を抱き、四苦八苦の末にやがて境地へ辿り着くまでの物語は、読者の共感と感動を呼ぶに違いありません。