人生、負け勝ち
2003年から2008年までの6年間、女子バレー日本代表を率いた柳本晶一氏の自叙伝です。
テレビでもお馴染みとなった顔で、覚えている人も多いのではないしょうか。
現役時代に実績を残した選手が監督になることが多いですが、柳本氏自身も男子バレー日本代表の経験があり、事業団バレーでも何度も優秀経験があります。
引退後も順風満帆に見えた柳本氏でしたが、10年間にわたり監督を勤めた日新製鋼の男子バレー部はあえなく廃部、その後、東洋紡の女子バレーを監督して立て直すもまたしても活動休止。
1人で全国行脚を行って選手の引取先を探し終えた頃には「燃え尽き症候群」に陥っていたと告白しています。
そんな失意の日々を過ごす中、低迷する女子バレー日本代表を立て直すべく柳本氏に白羽の矢が立つのです。
当然ながら監督はコートでプレーすることはできません。
ただしコートで戦う選手たちは監督が選び、その戦術に従って戦います。
つまり監督とは企業の経営者(管理職)に通じるものがあるのです。
とくに男性でありながら女性だけの集団を指導する難しさ、そして何よりもスポーツという勝負の厳しい世界で実績を残し続けなければなりません。
期待の若手選手を抜擢してチームを活性化させてゆく一方、実績のあるベテラン選手を起用することで得られる安定感も必要です。
さらにメンバーの個性を理解し、チームを引っ張るキャプテンの人選も誤ってはなりません。
柳本氏の自叙伝を読んでいると目標や戦術を定める一方で、チームを1つにまとめ上げるマネジメントにもっとも気を使っていたことが分かります。
選手間に生まれる嫉妬、自信を失った選手、中には強烈な個性でチーム内で浮いてしまう選手もいます。
柳本氏は感情を一切入れず、実力だけで選手を評価し、必要な選手には土下座をしてでも来てもらうと言い切っています。
またメンバーを固定せず選手間の競争意識を煽り、ギリギリまでレギュラーチームを作らないのも柳本流です。
もちろん企業組織とトップアスリートの集団ではマネジメント方法が違ってくると思いますが、のちに「再建屋」と呼ばれることになる柳本氏の手法は、低迷する組織を立て直すためのヒントが詰まっていると言えます。
スポーツジャーナリストの松瀬学氏は柳本監督を次のように評しています。
名将とそうでない者とは「負けて学べるか」が隔てる。柳本監督は、負けの中から勝利の芽を見つけてきた。
「負けて勝つ」、愉快な口癖である。
柳本氏自信が経験してきた何度もの挫折が血肉となって生かされているのです。