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新三河物語(下)


 

新三河物語」の最終巻では、信長が本能寺の変で斃れ、つづく秀吉との対決、やがて秀吉の死後に関ヶ原合戦大阪冬・夏の陣を経て江戸幕府の樹立によって家康が天下統一を果たすまでの過程が描かれています。

まだ家康の勢力が小さな頃の譜代の家臣たちは、つねに家康と行動を共にしてきました。

しかし領土が広がり新参の家臣たちが増えてくるに従い、城主として、あるいは攻略する方面ごとに軍を率いて家康と別行動を取ることが多くなります。

その中で本作品の主人公ともいえる元祖「三河物語」の著者である大久保忠教は、おもに信州方面での任務に就くことになります。

その間に家康が秀吉が繰り広げる小牧長久手の戦いが起こりますが、忠教は油断ならない真田昌幸に睨みをきかせるため小諸城から動きませんでした。

つまり下巻になってからの本作品は、家康をすこし遠い位置から見ている大久保一族の視点から見て書かれています。

そして残念なことに、その距離は物理的なものに留まらず、心の距離にも及んでゆくのです。

その要因を簡単に言えば、家康が天下人になるにつれ世の中から戦がなくなってゆきます。
一方で家康の先祖から松平家に仕えて譜代の家臣たちは、おもに戦場での槍働きで活躍してきた猛者たちです。

しかし天下が定まるにつれ時代が求めるのは内政能力となり、新しい人材たちがそれを担うことになります。

例えば晩年の家康が信頼した本多正信藤堂高虎らはいずれも譜代家臣でありませんでしたが、彼らの発言は譜代家臣のそれより重用されることになります。

結果として家康と彼らの思惑により譜代の家臣、酒井家や石川家、さらには大久保家が失脚してゆくことになります。

家康の天下統一にもっとも貢献したのは人質時代から家康に仕え続けた譜代家臣たちでしたが、失脚以前から彼らに与えられた領地の石高は驚くほど少ないものでした。

こうした家康へ対しての譜代家臣の想いが作品中に書かれています。
猜疑のかたまりとなった晩年の今川義元、織田信長、豊臣秀吉となんらかわりはない。
徳川家康だけはそれら三人とはちがう、と三河に生まれた者は誇りたかったのに、いまの家康の迷執のひどさをみれば、落胆せざるをえない。

それでも結果として譜代家臣たちが家康へ向かって反乱することはありませんでした。

もちろん本作品の主人公ともいえる大久保一族にも悔しさややるせなさがあったことは間違いありませんが、その根底には三河武士としての意地や誇りがあったことも間違いありません。

現実の世の中は必ずしも努力が報わる訳ではく、不平等で不条理な場面に出くわすことが当然のようにあります。

そんな時に作品中での大久保一族の生き様は読者へ励ましを与えてくれるはずです。