東北―つくられた異境
東日本大震災を機会に何気に手にとった1冊です。
昔は"奥羽"と言われ、現在は"東北"と呼ばれている地域(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島)の文化的位置付けを数々の文献を紐解くことでその姿に迫ろうとした1冊です。
明治初期の「白河以北一山百文」に代表されるように、戊辰戦争において幕府側に加わった勢力(いわゆる朝敵)が多い東北地方は、天皇の威光が届かない文化成熟度の遅れた荒地であると侮辱的な扱いを受けてきました。
著者は東北地方(奥羽)が、江戸時代の中期頃より文化人たちに辺境視されてきた歴史があることを様々な文献を通じて例を挙げてゆきます。
もちろんこれは江戸を中心とした文化圏からの偏見であることは確かですが、大和文化とアイヌ文化が融合した多様で独自の文化が根付いていた証拠でもあります。
わずか100年前の東北地方に住む人々が中央権力にどれだけ虐げられてきたか、またそこに住む人々がそれだけ劣等感を抱いていたかを知り、正直驚きを感じました。
今でこそ東北地方への偏見は薄まってきており、今回の大震災でも多くの国民が支援を惜しまない一体感が普通になりつつありますが、今から115年ほど前に発生した明治三陸地震では、政府の援助も不十分であり、しかも当時は"方言"が濃厚に残っていた時代でもあり、救援に駆けつけた医師と意思疎通を行うことすら困難な場面があったようです。
一方で本書では、こうした東北地方の地位向上のために文化的・社会的活動を行ったきた人物についても丁寧に解説しています。
東北と一言でいいますが、四国の3.7倍、九州の1.6倍もの面積を持ち、本州の3割の面積を占めており、それだけに東北が日本に果たす役割は決して小さいものであるはずはありません。
震災後特に多くなった気がしますが、日本を"小さな国"と表現する機会を見受けます。
これは首都圏で密集して住んでいる人たちの視点が入り込んでいる表現であり、孤立した被災地の人々や断絶したインフラを考えると、決して東北が近くも狭くもないことを実感できます(実際、世界的に見ても日本の国土は大きな部類に入ります)。
アイヌ文化についての本を読んだときにも感じたことですが、現代においても京都にある仏閣や江戸時代の資料館、時代劇を見て日本の文化・風土を知ったつもりになる人、そもそも日本が単一民族国家であると勘違いしている人も少なくありません。
こうした姿勢が多くの伝承されるべき豊かな文化を失わせてしまった事に気付くべきですし、こうした歴史に憤りを感じる1人です。
本書は研究者が書いた本のため専門的な内容が多いですが、東北地方が中央権力から迫害され、葬られてきた歴史があるということを気付かせてくれる教科書であるといえます。