沙中の回廊〈上〉
春秋戦国時代を題材とした小説を数多く手掛ける宮城谷昌光氏による歴史小説。
中国の戦国史としては「三国志」が最も有名ですが、5百年以上に渡って続いた「春秋戦国時代」も魅力的な歴史上の人物が数多く登場します。
ただし5百年という期間や登場する国の数が数十以上にのぼることから、分かりにくい部分があるのも事実です。
著者の宮城谷氏は春秋戦国時代を通史としてではなく、作品ごとに1人1人の人物にスポットを当ててくれるため、どの作品から読み始めても魅力溢れるこの時代にすんなり入り込むことが出来ます。。
本作品では、晋の名宰相として後世から高い評価を受けている"士会"が主人公として登場します。
士会の生きた時代は春秋時代に分類され、大雑把に説明すると"晋"、そして"楚"という2大強国が、周りの国々を巻き込み覇権を争っていた時代です。
士会は長命だったこともあり歴代5人の晋の君主に仕えることになりますが、その最初の1人である名君"文公(重耳)"に見出されるところから歴史上に姿を見せます(ちなみに文公を主人公とした同氏の小説に「重耳」があります)。
ところが士会は、文公の死後に起こった後継者争いに巻き込まれて、隣の敵国である"秦"へ亡命することになります。
そこで、その才能に気付いた秦の君主"康公"により士会は重く用いられてゆきますが、彼の活躍する場はかつての故国であった"晋"への攻略に関するものであり、決して故国へ対して恨みや憎しみを持っていなかった士会にとって、その心中は複雑であったに違いありません。
春秋戦国時代を通じて士会のように亡命を余儀なく選択し、やがてそこで活躍する人物は珍しくありませんが、士会については、彼の能力を見抜いた晋の大臣"郤缺(げきけつ)"の策略により再び晋に戻ることになります。
士会が戻った晋は相変わらず名門同士の派閥争いを続けている状態でしたが、士会はその中に加わることも、そして自ら派閥を作ることなく超然とした態度を取り続けます。
文公や彼に仕えた狐偃(こえん)や先軫(せんしん)といった偉大な人間を見てきた士会にとって、出世や保身に走る国の首脳陣をみて、心の中では落胆していたに違いありません。
時代は戦乱の真っ只中であり、私欲を捨てて自らが正しいと信じる道を歩む士会のようなやり方は、生き延びるためには決して利口なやり方とはいえません。
しかしながら士会は後に名宰相と評されるまでになる人物であり、目まぐるしい戦乱の世の中をどのように生きてゆくのか、読者の興味を掴んで離しません。