沙中の回廊〈下〉
引き続き晋の名宰相と言われた"士会"を主人公とした「沙中の回廊」の下巻レビューです。
士会は戦乱の時代とはいえ謀術数の限りを尽くしライバルを1人ずつ葬ってゆく策略家でも、豪快な武将肌の人物でもありませんでした。
兵法が確立していない時代において士会は天才的な戦略家ではありましたが、決して武力を安易に用いることはなく、外交面や内政面も重視する国全体の利益の視点から物事を考えられる人間でした。
しかし士会の生きた時代には運悪く、晋にとっての長年のライバルである楚に名君"荘王"が君臨していました。
無敵を誇る楚を相手に国内情勢が安定しない晋は必然的に守勢に回ることになり、更に外交のまずさから秦という大国をも敵に回すことになります。
楚は国王である荘王を中心として結束の固い強力な軍隊を有しているのに対し、士会は晋の将軍の中の1人でしかない立場でありながら、戦いを通じて唯一荘王に対抗できる人物として名を知られてゆくことになります。
やがて士会の能力と人格が認められ、すでに老齢に差しかかった時期に晋の宰相の座に就くことになりますが、その宰相の地位さえも数年であっさりと譲ってしまうことになります。
宰相という人臣としての地位を極めますが、その地位に執着するが故に数々の内乱を巻き起こしてきた先例を多く見てきた士会にとって、引き際を誤って自らがその1人となることが最も恐ろしいことだったに違いありません。
人間は苦しい時にその本性が出ると言いますが、むしろ富や地位を得たときにこそ本性が出るものではないでしょうか。
日本は高齢化社会といいますが、それを考慮しても過去の名声にしがみ付いて地位を手放したがらず、なかなか後進に道を譲ることをしないケースが多いように思えますし、その結果、過去の名声を汚名に変えてしまう人が多いのは非常に残念です。