宿敵〈下〉
引き続き、「宿敵」下巻のレビューです。
加藤清正と小西行長。
本作品に登場する2人の主人公は、その生い立ちから性格まで徹底的に正反対です。
加藤清正は幼い頃に父親を失い、貧しい環境で幼少期を過ごしたのちに秀吉に仕えるようになりました。自分の力のみを信じて槍一本で立身出世を成し遂げた叩き上げの猛将であるといえます。
また母の影響を受けて熱心な日蓮宗徒だったといわれます。
一方の小西行長は、豪商の子として生まれ、父親(小西隆佐)をはじめとした堺の商人たちの強力なバックアップもあり、秀吉の台頭と共に出世が約束されていたようなものでした。
またポルトガルをはじめとした南蛮貿易に従事した商人の子として育ったこともあり、早い時期からキリスト教に帰依したことでも知られています。
これだけ対照的な2人は、創作でもなかなか書けるものではありません。まさしく"事実は小説より奇なり"です。
そんな2人の関係を知りつつも秀吉は、清正と行長を競争させる方針を貫きます。
まず2人へ肥後一国の半分ずつを与え、大名として任命します。
そして朝鮮への出兵(文禄の役)の際には行長を先鋒として、清正を2番手として送り込み、互いに漢城(現:ソウル)攻略を競わせます。
朝鮮出兵は秀吉の死により終わりを迎えますが、次は徳川家康が天下を狙うべく動き出します。
またしても当然のように2人は敵同士に別れますが、ここではじめて2人の心境が重なります。
清正は秀吉亡き後も豊臣家への忠誠心を失わない武将でした。
家康に不安を抱きつつも、石田三成を豊臣家の宰領として認めなかったことが東軍に付くきっかけになります(そして清正の死後、家康への不安は現実のものとなります。。)
行長は家康へ対して悪い感情は抱いていませんでしたが、昔からの盟友である石田三成の誘いを断る選択肢はありませんでした。
つまり2人とも積極的な理由ではなく、多くの大名がそうだったように日和見的な態度が許されない状況下での選択に過ぎませんでした。
このあとは歴史が証明する通り、東軍の勝利に終わり、小西行長はキリスト教徒であるがゆえに自刃を拒み、三成らと共に処刑されることになります。
"宿敵同士"の争いは清正の勝利に終わったかに見えましたが、清正は喜びよりも虚しさを感じるのでした。。
戦乱という時代の大きな流れに翻弄されつつも、異なる形で自らの信念を貫き通した2人の武将を「宿敵」というキーワードで結びつけ鮮やかに描いた傑作です。