レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

小倉昌男 祈りと経営



小倉昌男といえば"宅配便の父”として20世紀の伝説的な経営者の1人として知られています。

本ブログでも高杉良氏の「小説ヤマト運輸」を紹介していますが、名経営者だけに小倉昌男の伝記やビジネス書は数多く出版されています。

本書はそのいずれでもなく、ノンフィクション作家である森健氏が小倉昌男の経営者としての姿ではなく、世間には殆ど知られていない素顔に迫った1冊です。

森氏が本作品の執筆(取材)を始めた時点で小倉昌男はすでに世を去っており、生前彼と交流のあった人物への取材を通じてその実像へ迫ってゆくという手法をとっています。

そもそも著者が小倉昌男に興味を持ったのは、彼に関するさまざまな書籍に目を通し、3つの疑問を持ったことに始まります。

1つ目は、引退後に私財(自身が所有していたヤマト運輸の株)のほとんどを投じて福祉財団を設立し、その活動をライフワークとした理由です。

つまり経営者時代に福祉への取り組みへ関心のあった形跡が見られないにも関わらず、熱心に福祉の世界に入っていった動機が不明だったのです。

2つ目は、小倉氏は物流業界における官庁の規制と争い続け、経済界では「闘士」として知られる人物でした。
しかし彼は著書で自らのことを「気が弱い」「引っ込み思案」であると分析しており、役人と正面切ってケンカをするイメージからは想像がつきません。

著者も小倉氏に1度インタビューをした経験があるものの、その時の印象は物静かで小さな声で話す人物だったといい、世間のイメージと実像とのギャップに疑問を持ちます。

最後の3つ目は、最晩年の行動です。
小倉氏は80歳という高齢で癌により体調を崩している中にも関わらず、アメリカ・ロサンゼルス市に住む長女宅を訪問し、そこで死去しています。
つまりなぜ長年住み慣れた日本で最期を迎えなかったという疑問です。

本書では小倉氏の経営手腕といった点には殆ど触れず、ひたすら彼のプライベートな部分を掘り下げることで名経営者と言われた人間の素顔を浮き彫りにしようとしています。

たとえば熱心だったカトリックへの信仰や、複雑だった家庭事情、私的な人間関係などです。

もし彼の生前にこうした類の取材が行われていたとすれば、私生活に踏み込み過ぎたプライバシー侵害だという声が上がってもおかしくありません。

しかし小倉昌男が亡くなって10年が経過し、インタビューを受ける関係者たちの気持ちもかなり落ち着いてきていること、そして今なお小倉昌男の名は不朽のものであり、彼の素顔を知りたいという世間のニーズがそれだけ大きかったという点が挙げられます。

本作品はまるでミステリーの謎解きのようであり、著者の取材により少しずつ小倉昌男の素顔が明らかになってゆきます。

ノンフィクションでありながら小説を読んでいるような錯覚を覚える作品であり、構成力の高さに感心してしまいます。

結果として本作品は第22回小学館ノンフィクション大賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞、第48回大宅壮一ノンフィクション賞と3つもの賞を獲得して世間でも大きく評価された1冊です。