人の砂漠
日本を代表するノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が昭和52年に発表した作品です。
本書には8作品が掲載されていますが、どれも1冊のノンフィクション作品として成立するほど内容が充実しており贅沢な気分で味わうことができる1冊です。
いずれも昭和40年代終盤から51年に執筆されたと思われ、当時20代後半という若さもあり日本各地へ取材へ出かけ、もっとも精力的に活動していた時期の作品といえます。
本書に収録されている作品を簡単に紹介してみたいと思います。
おはあさんが死んだ
昭和51年浜松市で1人の老婆が栄養失調のため孤独死するという事件が発生する。自宅に残された10冊のノートには英語などでビッシリと書き込みがされており、著者はそこから老女の辿ってきた人生に興味を持ち取材を開始する。
棄てられた女たちのユートピア
千葉県館山市の里山に開設された婦人保護施設「かにた婦人の村」。そこには社会復帰の見込みのない知的障害・精神障害を抱えた婦人たちが集団生活を送っている。
そして彼女たちの多くは元売春婦という経歴を持ち、全国に類を見ないユニークな施設に興味を抱いた著者は、取材のために彼女たちとともに施設で過ごすことになる。
視えない共和国
那覇まで520km、台湾まで170kmというまさに国境に位置する与那国島。戦後の混乱期には密貿易の拠点として栄えた歴史を持つも、今は人口減少と過疎化が進みつつある。
著者はそんな辺境の島に住む人びとには本州にも沖縄本島にも見られない独特な意識や文化が存在していることに気付き魅せられてゆく。
ロシアを望む岬
目の前にロシアの領土、つまり北方領土を望む根室周辺を訪れた著者。北方領土返還は日本の悲願であるはずだが、そこには地元の漁師をはじめ複雑な利権が絡んでいることが分かってくる。
そしてそこでは国家権力の合間で漁民たちがたくましく暮らしていた。
屑の世界
屑屋が集めてきた品を買い取る「仕切屋」で働くことになった著者。そこには様々なバックボーンや事情を抱えた屑屋たちがリヤカーや自転車で廃品を持ち込んでくる。
彼らの人間模様、そして仕切屋の世界にある独自のルールや不文律などを著者は少しづつ理解してゆく。
鼠たちの祭
穀物取引所で「場立ち」として活躍してきた集団を取材する著者。そこは生き馬の目を抜く相場の世界であり、多くの人間が成功しそして破滅していった。
さらに過去に大相場師として名前を馳せた人たちの過去を辿り、そこに潜む魔物に憑かれ闘い続けた人生を振り返ってゆく。
不敬列伝
かつて存在していた「不敬罪」。それは天皇をはじめ後続へ対しての不敬の行為を取り締まる法律だったが、法律そのものが消滅した戦後においてもそれは姿形を変えて確かに存在し続けている。
著者は戦後における皇室をターゲットとした事件を起こした、あるいは犯罪を企てて逮捕された人物たちを取材し、象徴としての天皇の存在を問いかけてゆく。
鏡の調書
上品な佇まいの資産家を名乗る老女は、83歳の天才詐欺師として世間を賑わすことになる。計121件の詐欺により被害総額600万円の詐欺を働くが、そのうち自分のために使ったのは8万余りに過ぎなかった。
それは大規模で計画的な詐欺とは性格の異なる、多くの被害者側にもある種の余裕が残っている不思議な詐欺事件であった。
事件の独自性に興味を持った著者は詐欺の被害者を通じて、彼女の正体に迫ってゆく。
ノンフィクション作家として次から次へとテーマを探し、時にはそこで働くことによって取材を続けてきた著者の行動力と臨場感が作品から伝わってきます。
これは作家活動全体を通じても若い頃にしか挑戦できないスタイルであり、その意味でも貴重な1冊ではないかと思います。