気張る男
明治時代に関西(大阪)を中心に活躍した実業家・松本重太郎を主人公にした歴史小説です。
多くの実業家や財界人をモデルにした小説を手がけている城山三郎氏がもっとも得意とする分野ですが、そもそも松本重太郎と聞いてピンとくる人は少ないかも知れません。
岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)、安田善次郎(安田財閥の創業者)、渋沢栄一(日本を代表する実業家)とほぼ同時代に生きた人物であり、銀行や鉄道、紡績、ビール会社などの事業を次々と立ち上げた松本は"西の松本、東の渋沢"と並び称えられるほど多くの実績を残し、彼が創設に関わった企業は今でも姿や形を変えて存続しています。
それでも彼の知名度が低い理由の1つは、松本自身が事業に失敗し破産同然のまま実業界を引退したこと、もう1つは大阪を中心とした関西の民間事業に力を入れ続け、政界や首都である東京から距離を置き続けたことから、歴史のスポットライトから少し外れてしまったという理由が挙げられると思います。
重太郎の生まれた丹後国間人村は日本海に面して残りの三方を山に囲まれた寒村であり、長男ではない彼は口減らしのため、わずか10歳という幼さで京都に奉公に出ます。
一生懸命働きながら勉学にも勤しみ、やがて自分の小さな店「丹重」を大阪に構えるところから重太郎の飛躍が始まります。
蝋燭や羅紗の商いで成功していた重太郎は時代の流れを読み、第百三十国立銀行(現:滋賀銀行の前身)を設立することで資金を調達し、瞬く間に鉄道や紡績など大資本が必要な事業に乗り出し、目の回るのような忙しさに身を置くことになります。
その他にも北スコットランドで静養していた鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに会いに行くなど、驚くほど精力的に活動します。
しかし彼の最大の魅力は実業家として成功した姿ではなく、事業に失敗し全財産を投げ出した後の人生だったかも知れません。
家賃10円の借家に移り住み過去の栄光にしがみつくことなく平然と暮らし続ける重太郎は、たとえ富は失っても酸いも甘いも噛み分けた人間としての厚みは失わなかったのです。
果たして今の大企業経営者たちはいざという時に責任を真正面から受け止め、そこから逃げ出さない重太郎ほどの心構えがあるのか?
甚だ心もとない問いかけです。