総員起シ
太平洋戦争には、世に知られぬ劇的な出来事が多く実在した。戦域は広大であったが、ここにおさめた五つの短編は、日本領土内にいた人々が接した戦争を主題としたもので、私は正確を期するため力の及ぶ範囲で取材をし、書き上げた。
これは著者の吉村昭氏によるあとがき冒頭の文章ですが、ノンフィクション歴史小説に定評のあった著者だけに作品中の描写は著者があたかも現場にいたかのような臨場感があります。
本書に収められているのは以下の5作品です。
- 海の柩
- 手首の記憶
- 烏の浜
- 剃刀
- 総員起シ
「海の柩」、「烏の浜」はいずれも北海道の海上で起きた悲劇を取り上げ、「手首の記憶」はソ連の参戦によって樺太から撤退する民間人たちの悲劇を取り上げています。
「剃刀」は沖縄戦の後半にスポットを当て、「総員起シ」は瀬戸内海で潜水艦の訓練中に起きた事故を取り扱っています。
いずれも多くの犠牲者や戦死者を出した出来事ですが、太平洋戦ではあまりにも多くの死者が出たこともあり、作品の大部分の悲劇が充分に世の中に知られているとはいえません。
タイトル作にもなっている「総員起シ」は、伊予灘由利島付近で起きた伊号第三十三潜水艦で発生した訓練中の事故を取り上げています。
浸水により浮上できなくなった潜水艦の中で、かろうじて浸水から免れた区画。
その中で取り残された乗組員たちが絶望的な状況の中で、高まる気圧、減ってゆく酸素に苦しみながら遺書を残し息絶えてゆくという悲痛な場面を描いています。
もちろんこれもフィクションではなく、九死に一生を得て脱出した乗組員からの話、そして戦後9年後に引き上げられた潜水艦の中で遺体が腐敗せず当時のままで発見されるという出来事を通して、当時の状況が判明したのです。
乗組員たちは戦地に赴ことなく死を覚悟した時何を思ったか?そして残された時間で故郷にいる家族たちへ何を思ったか?
私たちが想像するだけで痛ましい事故ですが、そこから目を背けず淡々と描写を続ける著者の心中も決して穏やかではなかったはずです。
戦争文学というより、まるで戦争ルポルタージュのような迫力のある作品たちがおさめられた1冊です。