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馬賊 日中戦争史の側面

馬賊 日中戦争史の側面 (中公新書)

清朝後期から日中戦争終結に至るまでの壮大な時間軸の中で、主に旧満州、中国東北部で活躍した「馬賊」の歴史を解説した1冊です。

本書は1964年(昭和39年)初版という、半世紀以上前に発刊された本です。
著者の渡辺龍策氏は1903年(明治36年)生まれで父は袁世凱直隷総督の学事顧問に赴任していたこともあり、幼い頃から中国に慣れ親しんできた経歴を持っています。

日中戦争という動乱の時代を中国大陸で体験し、馬賊を実際目にした機会も多かったに違いありません。

当時の中国を中心に歴史を見てゆくと、イギリス日本ロシアなどの列強国、そして袁世凱を筆頭にした各地で群雄する軍閥、孫文蒋介石毛沢東に代表される革命勢力といった勢力が拮抗し、混沌とした情勢を生み出していました。

さらにその中で侮れない勢力を持っていたのが馬賊であり、もっとも有名なのが張作霖ですが、伊達順之助小日向白朗(尚旭東)松本要之助といった馬賊として活躍した日本人もいました。

麻のごとく乱れた当時の中国において、もっとも苦しめられたのは当然のように農民たちでした。

そんな農民たちが権力者たちの詐取、外部からの略奪から自らの身を守るための自営組織として立ち上げたのが馬賊の発祥であり、貧困地方(とくに満州西部)においてその傾向が顕著でした。

やがて馬賊の中、あるいは近隣の馬賊間で「親分-子分-兄弟分」といった血盟的、同志的、同族的な連携が見られ、彼らが共同戦線を張ることで大きな勢力に成長していったと著者は解説しています。

""という字に惑わされ馬賊を単なる盗賊(略奪)集団とみなすのは誤りであり、盗賊は"土匪"や"匪賊"とて区別され、馬賊たちから見ても軽蔑すべき存在であったのです。

仁義を重んじるという点では日本の任侠と似たような性質を持っていますが、その武力ははるかに強大であり、馬賊は民衆たちを守る勇敢で腕っぷしの強い男の象徴として、子どもたちにとって憧れの存在ですらあったことが分かります。

歩兵銃をたすき掛け腰には幾つかの拳銃を差し、夕日を背に満州の広大な原野を疾駆する馬賊の姿をイメージすると、戦国武将にも通じるカッコ良さがあります。

しかし満州を足がかりに大陸へ進出してきた日本軍は、馬賊や孫文率いる革命軍さえも盗賊と混同してしまい、漏れなく制圧対象としました。

少なくとも"馬賊"という地域に根ざした存在とうまく共存・活用できれば治安維持のみならず、住民たちの日本軍へ対する感情も違ったものとなったでしょう。

また馬賊は文字とおり"馬"を機動力とした武力集団でしたが、日本やロシアの軍隊は戦車や重火器などにより近代兵器を装備しており、馬賊が正面から戦うのは著しく不利でした。

それでも有力な頭目(大攬把)であれば10万の馬賊たちに号令をかける力を持ち、勇敢で地理に精通した彼らの勢力は決して侮ることはできませんでした。

勢力を伸ばし脅威的な存在となってきた張作霖を爆殺し、満州国という傀儡国家を作り上げた日本は馬賊との共存を拒みましたが、それは満州の民衆との共存を拒んだことも意味していたのです。

結局、日本は満州を豊かな漁場としか見なさない帝国主義国家としての本音が主流を占めるに至ったのです。

結果として満州を豊かな土地とする目標は理想に終わり、中国の各地へ戦線を拡大していったものの最後まで民衆を単なる"賊"として見なさなかった日本軍の敗北は必然であったともいえます。

馬賊は時代の流れとともに消滅しましたが、彼らは死に絶えた訳ではなく、再び農村へと帰っていったに過ぎないのです。



最後に日本人馬賊として活躍した小日向白朗を主人公にした小説はおすすめです。

馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
馬賊戦記〈下〉―小日向白朗 蘇るヒーロー