ファーストレディ〈上〉
東京大空襲の中で偶然に知り合った2人の大学生と2人の女学生。
戦後、その1人である渋谷忠太郎は政治家になることを決意し、もう1人の辻静一は戦後シベリアに抑留されるものの帰国後は弁護士を目指します。
やがて2人の女学生のうち百合子は忠太郎と、愛子は静一と結婚してそれぞれの戦後の生活が始まります。
感受性の豊かな若者たちにとって"戦争"という強烈な体験は、その後の価値観を決定づけるほどの影響力を及ぼすことがあります。
忠太郎は日本を復興させるという崇高な想いからではなく、戦後も国民たちが天皇を尊敬し続ける姿を目の当たりして決して日本は左翼化しない保守的な国民性であることに確信を抱き、政治家として保守政党が勝ち馬であることをいち早く見抜きます。
そして戦争によって味わった困窮から、"所詮人は金で動く"ということが彼の信念になります。
一方、静一はシベリア抑留で弱者の立場を経験することによって、社会の中の弱者を手助けすべく裁く側(検事)ではなく、裁かれる人を守る側(弁護士)の道を目指したのです。
見方を変えれば、裁く側が戦勝国のソ連、裁かれる側が敗戦国である日本であり、この日本の中にはシベリアで息を引き取り祖国に帰ることの出来なかった戦友までが含まれるのです。
政治家の妻となった百合子は、その基盤を確かなものにすべく陰日向なく夫を支え続けなければならない宿命を背負います。
一方の愛子は夫の仕事を尊重しつつも、自らは肉親を病気(結核)で亡くした経験から看護師を続ける決意をします。
いわば本作品は、戦中から戦後にわたる対照的な2組の夫婦の人生を描いた物語でもあるのです。
ところで著者の遠藤周作氏は、数多くの作品やエッセーにおいて社会問題には言及しても、"政治"を話題に取り上げる機会の少なかった作家という印象があります。
しかし本書"ファーストレディ"は政治の世界を生々しく描写してゆきます。
歴代の総理大臣をはじめとした政治家たちが次々と実名で登場し派閥争いや金権政治を繰り広げる様相は、普段は言及せずとも政治に注目し続け、それでいて醒めた目で観察し続けた遠藤氏の容赦のない本音が垣間見れるのです。