介子推
某マンガの影響かにわかに人気が高まりつつある中国の春秋戦国時代。
きっかけはどうであれ、春秋戦国時代が好きな私にとって喜ばしい傾向であることに間違いありません。
春秋戦国時代の魅力は何と言っても登場する人物の多彩さにあります。
500年以上も続いた時代のため当然といえるかもしれませんが、名君や名宰相、勇猛果敢な将軍、天才的な策略家、もちろん暴君や欲の皮が突っ張った貴族も登場し、さらには諸子百家と呼ばれる思想家たちが中国全土で活躍するといった、のちの三国志の時代や日本の戦国時代さえも及ばないほどレパートリーが広いのが特徴です。
中には謎の多い神秘的な人物も少なくないのですが、その代表例が本作品の主人公・介推(介子推)です。
春秋時代にもっとも隆盛だったのが普であり、その最盛期を築いたのが重耳(文公)です。
重耳は春秋戦国全体を通しても間違いなく5本の指に入る名君ですが、若い頃から王族の内乱に巻き込まれ放浪の旅を続け、普の君主に即位した時にはなんと60歳を過ぎていました。
長い苦難の時代を支えたのは重耳に従った多くの忠臣たちでしたが、その中の1人が介推です。
やがて重耳が君主として普へ帰還したときに臣下たちの間で恩賞を巡る争いが起きますが、富や名声と関係なく重耳を影から支え続けた介推は、臣下たちの争いに加わることなく年老いた母とともに故郷の山中へ姿を消します。
あとから介推の功績の大きさを知った重耳は、名君だけに自らの過ちを認め血まなこになって介推を探しだそうとしますが、二度と彼が世間へ姿を現すことはありませんでした。
この辺りの展開は諸説ありますが、中国の清明節は介推を悼むための祭日が起源となっており、今でも多くの中国人から神として祀られる存在です。
介推の生涯はいくつかのエピソードが伝わるのみでそのほとんどが謎に包まれていますが、本書は小説家として抜群の実力を持つ宮城谷昌光氏が描いた介推の物語です。
介推は山霊から棒術を学び重耳の元へ馳せ参じますが、欲望渦巻く戦乱の世の中で毅然とした生き方を貫き、何度も重耳の危機を救ってゆきます。
あらすじを書いてしまえば単純ですが、登場人物たちはどれも個性的であり、春秋戦国時代に精通した著者は介推の生涯を巧みに史実の中へ溶け込ませてしまいます。
それだけに著者は本作品を書き上げるのが本当に辛かったと告白していますが、物語は全編にわたり迫真に満ち、結果として歴史小説の名作といえる1冊に出来上がっています。