プリズンの満月
"巣鴨プリズン"は、第二次世界大戦において戦勝国である連合国軍が多数の日本人戦争犯罪者を収容した施設として有名です。
その跡地は池袋サンシャインシティとして再開発され、当時の面影は公園に残された石碑以外に見い出すことは出来ません。
本書は吉村昭氏が"巣鴨プリズン"を舞台にして描いた小説です。
刑務官として40年間の勤務を終え定年を迎えた主人公・鶴岡が、昭和25年から8年間勤務した巣鴨プリズンでの出来事を振り返る形式をとっていますが、この主人公は著者が創造した架空の人物でありフィクションです。
ただしそこでの出来事は、当時のプリズンで事務官を務めていた森田石蔵氏からの詳細な取材、そして当時の記録を丹念に調べて執筆されており、その点では本書は紛れもなく歴史小説に位置付けられます。
収容された戦犯たちはGHQによりA級、B級、C級戦犯に分類されますが、これは犯罪の内容(種類)によって分類されたものであり、刑罰の軽重を示すものではありません。
実際にはA級戦犯として7名、BC級戦犯として52名が巣鴨プリズンで処刑されたといわれており、他にも20名が病気や自殺によってプリズン内で亡くなっています。
多くの犠牲者、遺族を生み出したという点で戦争が"悪"であるという点に異論はありませんが、そもそも戦争という非常時における殺人行為を罪に問えるのか、戦勝国の人間が一方的に敗戦国の人間を裁く権利を有するのかという点については当時から国際的に議論されてきました。
実際に極東国際軍事裁判に参加したインド人判事・パールは「日本への原子爆弾投下を決断した者こそ裁かれるべき」という旨の発言をし、裁判という舞台が戦勝国による復讐的性格を帯びている点を鋭く批判しましたが、この言葉に本質的な矛盾が凝縮されているように思えます。
当初、巣鴨プリズンは米軍の将兵によって運営されていましたが、やがてアメリカ軍が主力となっている朝鮮戦争の情勢が激化するに及んで人手不足のため日本人の刑務官が招集されました。
つまり日本の国法によって罰せられた訳ではない日本人戦争犯罪者を日本人刑務官が監視するという図式が成立してしまうのです。
本書には囚人たちに課せられる強制労働、死刑執行、芸能人による慰問に至るまで、刑務所内での出来事がこと細やかに記載されるとともに、囚人、そして刑務官が抱く複雑な心情までもが滲み出すかのように伝わってきます。
後世の我々は、巣鴨プリズンが昭和33年に閉鎖されることを知っていますが、当時の人たちはいつまで拘置され続けるのかという不安、そしていつ死刑が言い渡されるかという恐怖の中で日々を過ごすと同時に、一家の大黒柱を失った家族たちが困窮していることを知るに及んで、大きな焦燥感を抱いていたのです。
これは巣鴨プリズンに限った話ではなく、オーストラリアやフィリピン、中国やソ連などに抑留された日本人たち共通の感情であったのです。
やがて第二次世界大戦が終わり年月が経過するとともに、戦犯へ対する国際世論が変わり始める様子も本作品から伝わってきます。
作品全体に漂うのは重苦しい雰囲気ですが、わずかな希望の光が差し込み始め、それが少しずつ広がってゆきます。
しかしそれまでに長い時間と多くの犠牲が必要だったのは残念であり、戦争という行為の結果もたらした1つの悲惨な出来事として、後世に生きる我々は教訓を得なければなりません。