カシオペアの丘で 下
引き続き、重松清氏の長編小説「カシオペアの丘で」の下巻をレビューしてゆきます。
後半は、医師から余命半年を宣告された主人公(シュン)が故郷に戻り、久しぶりに小学生時代の幼馴染たちと再会するところから始まります。
この物語にはシュンのほかにも不幸な運命を背負った人物が登場します。
その中の1人が川原さんであり、不幸な事件によって1人娘を失い、愛した妻にも裏切られるという体験を持っています。
川原さんは主人公よりも不幸な境遇にあるといってよいのですが、自らの人生に絶望している彼は、シュンが幼馴染のトシ、そしてトシの父親を殺したシュンの祖父・倉田千太郎と和解する、つまり許し合う場面に立ち会うための観察者という不思議な立ち位置で登場します。
もしシュンたちが相手を、そして自らを許すことが出来なければ、本作品の中でもっとも文学的(または哲学的)な生き方をしている川原さんは確実に"自殺"という手段を選んでいたはずです。
衰弱してゆくシュンを見守る家族たち、そしてトシをはじめとした幼馴染たちの姿を鮮明に描いていく過程で感動的な場面が幾つも登場しますが、個人的にはその傍らで控えめに佇む川原さんがつねに頭の片隅から離れませんでした。
この物語の登場人物たちは誰もが心や体に傷を持っていますが、それは小説という形で象徴的に描かれているだけであって、およそ過去に大なり小なり何らかの傷(後悔)を残している読者が大半のはずです。
つまり読者によって感情移入できる登場人物が違ってくるはずです。
感動巨編であると同時にエンターテイメント性の高い作品であり、そこに重松清氏の作品が読まれ続けられる理由があるような気がします。