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ケルト神話と中世騎士物語

ケルト神話と中世騎士物語 「他界」への旅と冒険 (中公新書)

人類史上はじめてヨーローッパ全域を席巻した民族は、おそらくケルト人ではないでしょうか。

彼らは"文字"や"統一国家"という概念を持ちませんでしたが、強力な武器となる鉄の精錬法をいちはやく手に入れたことで、他の民族たちを瞬く間に制圧しました。

のちに神君と称えられることになるカエサルは、民族ごとに割拠していたケルト人(ガリア人)部族を次々と制圧してローマ帝国の礎を築き上げ、その過程は彼自身が執筆した有名な「ガリア戦記」に詳しく記されています。

しかしケルト人はカエサルによって根絶やしにされた訳ではありません。
むしろケルト人は、優等生と称されるほど積極的にローマ帝国(とその文化)へ同化していった民族でした。

一方ですべてのケルト人がローマによって征服された(=同化していった)わけではありません。
大ブリテン島のウェールズ、コンウォール、マン島、ブルターニュ(小ブリテン)、そしてアイルランドには今日なおケルト人の神話が息づいています。

本書はケルト人の神話を体系的に紹介してゆくのではなく、副題に"「他界」への旅と冒険"とある通り、ケルト人の死生観を通じてその精神世界を探ろうと試みた本です。

"他界"とは、キリスト教でいう"天国"、仏教でいうところの"極楽"や"地獄"であり、つまり死後の世界であると同時に、神々が住まう世界でもあるのです。

前述した通りケルト人は文字を持ちませんでした。
ドルイドと呼ばれる僧侶階級の人びとによって膨大な数の伝承が語り継がれるのみであり、そのほとんどは失われました。
しかし皮肉にも伝承の一部を文字として後世に残したのは、のちにケルト人へ布教を行ったキリスト教(異教)の修道士たちだったのです。

また修道士たちによって書き残された古伝承には、キリスト教的な概念が持ち込まれており、著者はケルト人の伝承の中から注意深くそれらを腑分けしようと試みています。

著者はケルト人の伝承の中にヨーロッパ文明の底層流に今なお生き続ける精神的伝統が横たわっていると考え、やがてケルト神話の背景から誕生したかの有名な「アーサー王伝説」を経て中世騎士の精神へと受け継がれていったと分析しています。

取り上げられている時代の幅は広いですが、本書で紹介されているケルト人伝承を挙げてみます。

  • 「ブランの航海」
  • 「コンラの冒険」
  • 「ダナの息子たち」
  • 「マー・トゥーラの合戦」
  • 「メルドゥーンの航海」
  • 「聖ブランダンの航海」
  • 「聖パトリックの煉獄」
  • 「イヴァンまたは獅子を連れた騎士」
  • 「ランスロまたは荷車の騎士」

そこには世界的宗教にありがちな善悪二元論勧善懲悪といった観念に縛られない、自由な世界が広がっています。

ケルト神話が教えてくれる人間が本来持っていた豊かな想像力と未知の世界へ対する畏敬の念は、多くのルールやしがらみに縛られた現代人を解放してくれるヒントが隠されているような気がします。