本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

新三河物語(上)



三河物語」といえば大久保忠教(おおくぼ・ただたか)が自らが仕えた松平家(徳川家)の戦国時代から江戸時代初期にかけての歴史を書き記した第一級資料(対象となる出来事と同時代に書かれた記録)として知られています。

本書はタイトルから推測できるように歴史作家の宮城谷昌光氏が「三河物語」を元にして、自らの構想で現代版の「新三河物語」歴史小説として執筆した作品といえます。

吉川英治氏が「新・平家物語」という作品を発表していますが、同じような位置にあたる作品です。

話は代わりますが、徳川家康が江戸時代という260年も続く幕府を築けた要因は、最終的には""という要素が一番大きいと思いますが、次に挙げられるのは家臣団の優秀さに尽きると思います。

家康を信長や秀吉と比べても個人の能力にそれほどの差があったとは思えません。

さらに信長や秀吉も家康に勝るとも劣らない能力を持った家臣たちを抱えていましたが、家康の家臣団には他の2人にはない特徴がありました。

それは"忠誠心の高い譜代の家臣団"から多くの優秀な武将が輩出されているという点です。

信長はそもそも譜代だからという理由だけで家臣を信頼したり重用する性格ではなく、戦国時代には珍しく完全能力主義に近い方法を採用していました。
そのため能力不足と判断された家臣は譜代であっても容赦なく追放するワンマン経営者のような手法を取ります。

また裸一貫で天下統一を実現した秀吉には、そもそも譜代家臣が存在しませんでした。
そのため彼の死後には、多くの家臣が離反して徳川方へ鞍替えすることになります。

この2人と比べて家康には松平家の当主となる前から仕えていた石川家、酒井家、本多家、大久保家、鳥居家といった家系から優秀な武将が登場しています。

本作品は大久保家の視点から家康の生涯が描かれており、この家からも大久保忠世、忠佐、忠隣、忠教など多くの優秀な武将を輩出しています。

上巻では家康が幼少から人質として過ごし、元服してからは配下の武将として仕えた今川家の当主・義元が、桶狭間で討ち取られる時代から始まり、西三河の一向一揆を鎮めるまでが描かれいます。

ようやく念願が叶って岡崎で独立を果たす家康ですが、次は家臣までもが家康側と一向宗側に分かれて骨肉の争いを行う羽目になりますが、後から見ればこうした苦難の時代をともに過ごした家康と家臣たちの結束はより強固になったと言えます。

上中下巻に分かれ、各巻ともに400ページ以上に及ぶ長編小説ですが、大久保家という譜代家臣から見た家康の生涯という視点は新鮮なものであり、じっくりと味わいたい作品です。

任せるコツ



大きな組織(企業)で部下を抱えて売上目標を達成しなければならないマネージャー、今は小さな組織(企業)であってもこれから部下を増やして大きな組織へ成長させてゆきたマネージャー、いずれもキーとなるのは部下の育成であると言えます。

本書のサブタイトルには「自分も相手もラクになる正しい"丸投げ"」とある通り、著者の山本渉氏はそのための時代にマッチした方法が丸投げであると提唱しています。

"丸投げ"というとネガティブな文脈で使われるケースが殆どですが、あえてこの言葉を使っていることに意味があります。

それは、自らお手本となり部下の面倒を見ながらグイグイと引っ張ってゆくリーダーが優秀であるとされてきた時代が続きましたが、これからの時代にはそぐわない、つまり丸投げして部下に任せるマネジメントが最適だということです。

また"正しい丸投げ"とあるからには、当然"悪い丸投げ"というものも存在します。
それは中途半端な丸投げであり、部下に仕事を任せたと口では言いながら、そのやり方にいちいち細かく口出しをしてしまうことです。

結果としてその部下はやる気が失われ、続いて主体性が失われ、成長が止まり、最終的に指示待ち人間が出来上がってしまうというものです。

かくいうは私にも思い当たる節がありますが、これは「任せ切れない」ことに起因するものです。

部下に仕事を任せられない人には、プレーヤーとして優秀なケースが多いと著者はいいます。

つまりマネージャー本人の方が能力や経験があるため「自分がやった方が早い」、「自分がやった方が完成度が高い」と考えているからであり、その本質には失敗したくないという恐怖心があるのです。

著者はかつて野球の野村監督が「失敗と書いて"成長"と読む」を語ったように、積極的に失敗させることが必要だと説いています。

もちろん組織として許容できない失敗(損害)は避けるべきですが、任せ切る、つまり丸投げをするためにはマネージャー自身の勇気と決断、忍耐が必要なことが分かります。

一応本書は体系的に順序立てて書かれているものの、著者は必ずしも本書のすべてをいきなり実行するのではなく、納得感のあった項目から取り入れてよいとしています。

著者は今もビジネスの最前線で年間100近いプロジェクトを手掛ける統括ディレクターという立場で活躍しています。

それだけに多くの失敗も経験していると自ら公言していますが、学術論や机上論ではなく、こうした現場から学んだ知識・知恵というのは積極的に活用する価値のあるものだと思えます。

南海の龍 若き吉宗



本書は徳川吉宗が第八代将軍となるまでの若き日々を描いた作品です。

著者の津本陽氏は和歌山出身であり、自身にとって吉宗は地元の偉人でもあります。

吉宗は和歌山藩主・徳川光貞の四男として生まれます。

御三家の1つである紀州徳川家とはいえ四男であること、母親が身分の低い側室であったことから、吉宗は将軍職はおろか和歌山藩の家督を継ぐ可能性さえ低い立場でした。

通常であれば部屋住み、いわゆる居候として肩身の狭い一生を送るのが通常だったようです。

吉宗自身もはじめから自身が藩主やまして将軍になるとは思っていなかったはずですが、生活に苦しむ百姓の暮らしを観察するうちに密かに大望を抱くようになります。

さらに吉宗は病弱だった兄たちとは違い、幼少期から聡明で武芸にも秀でた一面があり、吉宗の将来に期待して有能な家臣団(石川門太夫、加納久通、服部忠左衛門、大畑才蔵など)が集まるようになります。

しかし当然のように嫡子である長兄や次兄を擁する家臣たちから敵対視され、藩内ではいわゆる主流派ではありまでんした。

歴史の記録上では、吉宗が藩主や将軍に昇り詰めることになるのは、単なる幸運(継承順位の高い人たちの相次ぐ病死)ということになっていますが、本作品では裏で吉宗の家臣団が一致団結して、彼を押し上げるべく活動したことが大きな要因であるという筋書きになっており、ときには暗殺という手段さえ用いています。

もちろん彼らがそうした活動を報告することはありませんが、聡明な吉宗は雰囲気でそれとなく察しているという描写がされています。

はじめは吉宗の伝記的な歴史小説だと思い読み始めましたが、実際には藩内で吉宗派閥がライバルである兄たち(綱教、頼職)と権力闘争を繰り広げる場面にクライマックスが置かれており、立身出世をテーマにした時代小説的な楽しみ方をすることもできます。

また津本陽氏が得意とする真剣勝負の場面が少ないのは残念ですが、隠れ目付で伊賀忍者を率いる石川門太夫が隠密活動で活躍する描写は新鮮であり、剣豪小説とは違った魅力で読者を楽しませてくれます。

西郷と大久保



タイトルの「西郷と大久保」とは言うまでもなく、維新三傑にも数えられる薩摩藩出身の西郷隆盛大久保利通のことです。

この2人は同じ町内で生まれ幼少期から親友という間柄で育ち、のちに同志として二人三脚で明治維新を実現させ、やがて西南戦争で敵味方に分かれて戦うことになるという運命をたどります。

著者の海音寺潮五郎氏は生前次のように語っていたようです。

「わたくしは、1901年(明治34年)に薩摩の山村に生まれました。先祖代々の薩摩人です。明治34年と申せば、西南戦争から24年目です。今日、支那事変や大東亜戦争に兵士として戦った人が多数いるように、当時の薩摩には西南戦争に出たおじさん達が多数いました。ですから、その頃の薩摩の少年らは、その人々から西南戦争の話を聞き、西郷の話を聞いて育ちました。聞かされても、そう感銘を受けない人もいたでしょうが、わたくしは最も強烈深刻な感銘を受け続けつづけたようです。」

つまり著者が育った環境を考えると、作家としてこの2人を取り上げた作品を書くのは必然的だったように思えます。

まず頭角を表すのは、薩摩藩主・島津斉彬の小姓(庭方役)として直接教えを受けた西郷であり、当時から最も聡明な大名と言われた斉彬に感化され、その手足のようになって働くことになります。

それだけに斉彬が急死を遂げたときには誰よりも悲しみ、国父(幼い藩主の父親)として実験を握った久光とは、生涯に渡って不仲だったようです。

そして斉彬との面識はなかったものの、その西郷から影響を受けて頭角を現したのが大久保です。

作品中には2人の性格が書かれる箇所が何度か登場します。

その表現はさまざまですが、西郷はものに動じない沈着さがあるのと同時に感情豊かな表情を持ち、勇気や決断する場合の凄まじさ、さらに誠実・潔癖なほどの心術といった一種の英雄的な気質がありました。

一方の大久保は、つねに正しく現実を把握する冷静さを持ち、そこから理論構築のプロセス経て具体的なステップを1つ1つ進めてゆく実行力に優れ、こちらは軍師タイプの気質があったといえるでしょう。

この2人の能力が息の合った両輪のように回転することで、明治維新において薩摩藩が主導的な役割を果たした原動力になったのです。

同時にこの2人は、私情を捨てて命がけで物事に望む強靭な意志力を持っているという共通点もあり、これが2人の間に方向性の相違が生じたときに悲劇的な結末を迎えさせた要因にもなっています。

本書は、西郷と彼が神のごとく尊敬する斉彬との出会いから寺田屋事件、そして西郷が2度目の流刑から帰還するまでの出来事が詳細に書かれていますが、そこから新政府(明治政府)が発足するまでの4年余りの年月が紙面の関係か、または著者の判断によるものなのか省略されおり、朝鮮との外交方針を巡って西南戦争へ至る一連の流れへと場面が移り変わってしまう点が少し残念です。

それでも文庫本で500ページ以上もある読み応えのある長編となっており、歴史をさまざまな角度から眺めることの面白さや奥深さを改めて実感できる1冊であるといえます。