襲来 上
タイトルにある「襲来」とは元寇、つまりモンゴル襲来を意味しており、鎌倉幕府の御家人たちとモンゴル軍との戦を描いたスケールの大きな歴史小説だと思い読み始めた1冊です。
しかし私の勝手な予想は外れ、本作品の主人公は安房の小湊片海で育った漁師・見助です。
見助は生まれて間もなく両親を海の事故で亡くして孤児となり、地元の漁師・貫爺さんに育てられます。
小湊片海といえば鎌倉仏教を代表する僧の1人である日蓮の生まれた地であり、この作品のもう1人の主人公として登場します。
姓を持たず、文字の読み書きも出来ない見助が日蓮と出会うことで運命が大きく動いてゆくことになります。
日蓮は地元の天台宗寺院・清澄寺で修行を積みますが、遊学や思索を重ねる中で当時の主流だった念仏や禅宗といった考えと決別し、法華経こそが日本を救う経典であることを確信します。
日蓮は学問だけではなく、実践を重んじた僧でもあったことから、幕府の中心地であった鎌倉へ旅たち、そこで布教を始めることになります。
この時に見助は日蓮の弟子というより、彼の身の回りの世話をする従者として一緒に鎌倉に出ることになります。
見助は田舎の漁師出身らしく素朴で実直な性格であり、日蓮の教えというより彼の人格そのものに心酔して付き添うことになるのです。
今までにない新しい教えを広めようとする日蓮は、当然のように既存勢力の宗派から迫害されることになります。
見助はその一部始終を体験することになりますが、それでも信念を微動だに曲げようとしない日蓮をますます尊敬するようになり、陰日向となって日蓮の行くところに付き添います。
しかし松葉ヶ谷の法難(念仏勢力によって鎌倉の草庵が襲撃された事件)の後に、日蓮は見助へ対して対馬へ赴くようお願いされます。
日蓮は間違った仏教の教えが日本へ災難を招くと考えており、もっとも大きな災難の1つとして外敵の襲来を挙げていました。
つまり日蓮はモンゴル襲来を予め予言していたことになり、その真相を日蓮の目となり、手足となり確かめることを任せられたのです。
生まれ育った小湊片海を離れ、そして尊敬してやまない日蓮とも別れ、1人西国へ旅立つことになった見助の人生は大きく動き出すことになります。
平和でゆっくりと時間が流れてゆく田舎で育った若者が、都会に出てさまざまな人と出会い、自身も変わってゆくというストーリーは、時代設定を変えればそのまま現代小説にもなる構図です。
作品は見助の視点から描かれて進行してゆき、日蓮の生涯はもちろん、鎌倉幕府の混乱やモンゴル襲来といった時代の大きな動きもそこから垣間見ることができ、歴史小説であると同時に一介の漁師であった見助の心の中を描いた作品であるとも言えます。
日本の伝説
日本の民俗学を確立し、「遠野物語」で有名な柳田国男による1冊です。
遠野物語が特定地域(岩手県遠野地方)に伝わる民話を収集したのとは対照的に、本書はその範囲を全国にまで広げて、似た内容の伝説が日本各地に点在することを紹介、考察した内容になっています。
本書で紹介されている伝説を簡単に紹介してみます。
・咳のおば様
咳に苦しむ人びとがお婆さんの形をした石像、または石へお参りすると治るという民間信仰を紹介しています。 御利益は場所によって微妙に異なり、参拝対象がお地蔵様や焔魔堂だったりする地域もあるようです。・驚き清水
大声で特定の言葉を発したり、悪口を言うと井戸や清水が泡立ったり、さざ波が立ったりするという伝説です。 場所によっては念仏を唱えたり、手を打ったり、対象が温泉や池の場合もあります。・大師講の由来
日本各地に存在する弘法大師が霊力により清水を沸かせた、または井戸の場所を教えたという伝説を紹介しています。 私の住んでいる町にも弘法大師由来の井戸があります。 共通するのは、大師様が旅の途中で水に困っている住人を救うために清水を授けたという点です。・片目の魚
特定の池、または清水に生息する魚がすべて片目であるという伝説です。 神域に存在することが多いためか、片目の魚には毒がある(=食べてはいけない)という言い伝えとセットになっている場所も多いようです。片目伝説が魚ではなく、蛇である場合もあり、かつて一つ目という特徴がある意味では貴い存在であり、怖れられていたようです。
・機織り御前
人里離れた山奥で山姥(やまんば)が機を織るという伝説です。 「山姥=山の神」として信仰している地域は多く、また綾織神社として祀っている地域もあります。・御箸成長
貴人が地面に差した箸が成長し、二本の大木となった伝説です。 場所によって箸の持ち主は日本武尊であったり、親鸞上人、源頼朝や義経、新田義貞などレパートリー豊かです。・行逢阪
自分の土地を治めていた二人の神が、同時に出発してお互いが出会ったところを境界線としたという伝説です。 大和(春日様)と伊勢(伊勢の大神宮様)、信州(諏訪大明神様)と越後(弥彦権現様)という大きな単位から、村の境という規模まで様々であったようです。・袂石
旅先で拾った石や海底から見つけた石がだんだんと大きくなったため、祀るようになったという伝説です。 小石が大岩に成長し、何度も社殿を造り替えたという地域もあるようです。 石には神様が宿ると考えられており、こうした話は自然のように信じられていました。・山の背くらべ
日本各地にある山同士が背くらべをしたという伝説を紹介しています。山はなぜか負けず嫌いだったようです。背くらべに負けた山で、競争相手だった山の名前を出すと神罰が下るという場所もあるようです。
・神いくさ
山の背くらべの続きです。有名どころでも富士と筑波山、同じく富士と浅間山など、富士山に背くらべを挑んできた山は多かったようです。
もっとも有名なのは日光山(男体山)と赤城山の争いで、背くらべではなく本格的な戦争にまで発展しました。 その場所は戦場ヶ原として今でも有名です。
・伝説と児童
子どもと一緒に遊んだり、農作業を手伝ってくれたりと、お地蔵さんが人間の姿に化ける伝説を紹介しています。 場所によっては夜遊びをするお地蔵がいたりしますが、それだけ民衆にとってもっとも身近な神様だったことを裏付けています。地蔵信仰は同じく身近だった道祖神(塞の神)信仰と習合し、色彩豊かな伝説を残しているようです。
本書が発表されたのが昭和15年ですから、80年余りが経過したことになります。
かつてどの地域にもあった伝承や民話は失われつつあり、もはや都会ではまったくというほど耳にしないことに少し寂しい気持ちになるのは私だけではないはずです。
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