本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

清宮革命・早稲田ラグビー再生

清宮革命・早稲田ラグビー再生 (新潮文庫)

低迷する早稲田ラグビー部監督に就任し、13年ぶりに大学選手権優勝を果たし、その後も大学選手権の連覇を果すなどの実績を残した清宮克幸氏のドキュメンタリーです。


現在はサントリー監督を経て、今年からヤマハ発動機のラグビー部監督を務めています。


本人自らが執筆している著書もありますが、ドキュメンタリーライターである松瀬学氏が関係者のインタビュー交えて客観的に描いている分、本書ではより清宮監督の凄みが伝わってきます。

しかし彼は、画期的な戦術を編み出した天才肌の監督ではありません。

まずは選手たちが強くなるための環境にこだわり、信頼できるコーチ陣、優秀なメディカルチーム、そして海外から著名なコーチの招聘、トレーニング設備や芝のグランドの整備などを次々と着手してゆきます。


もちろんこれらの改革には多額の費用がかかりますが、学校のみならず早稲田の持つOB会の後押し、スポンサー企業としてアディダスと全面的に提携するなど、100年近い歴史を持つ早稲田ラグビー部に次々と新しい風を起こしてゆきます。

またその影の功労者は、彼を支える優秀なマネジメント陣でした。

これを実現したのは、サントリーの社員時代に学んだ人を説得するプレゼンテーション能力、そして選手時代に培ったラグビーへ対する情熱がありますが、ともかく清宮には、人を引き付ける磁力を持った魅力が備わっていました。


当時は学生ラグビーの最高峰といわれた早稲田ラグビー部においてすらボールを追いかけるだけの"シゴキ"の要素の強い練習メニューが伝統として多く残っており、これが体力と根性を養うと信じられていた時代でもありました。

清宮監督はこれらの練習メニューを次々と廃止し、目的が明確で数値化できる練習メニューに絞り、練習時間も2時間とする効率的な方法を取り入れてゆきます。

早稲田ラグビーは早明戦全盛期の頃からフォワードよりもバックスを重視した機動力を重視した展開ラグビーを得意としていましたが、ラグビーという競技の原則に立ち返りセットプレーで重要なスクラムを徹底的に強化します。

清宮監督自身が早稲田出身であるにも関わらず、いわば伝統的な早稲田ラグビーの価値観を破壊して再生するといった革命を次々と進めてゆきます。

もちろん理論的&合理的だけでは清宮監督は名監督と言われることはなかったでしょう。

一方で選手のモチベーションは闘志をかきたてつ情熱を持った人でもありました。

「理論武装した情熱家」


敵としては最も相手に回したくない人間ですが、逆にこれほど心強い味方はいません。

それが清宮克幸であり、巷でコンサルタントが執筆している"ありふれたマネジメント本"よりもはるかに企業のリーダーにとって示唆に富む1冊です。

ダライ・ラマ自伝

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

中国のチベット侵略により祖国を追われ、インドへ亡命したダライ・ラマ14世が自らの半生を綴った自伝です。

最近では2008年に発生したラサ市内での暴動に代表されるように、1950年に中国がチベットを侵攻(併合)して以来、未だに独立運動が続いている地域であり、ダライ・ラマの存在はチベットにおいて精神的な支柱とされる象徴的な存在です。


チベットと中国の歴史や文化の違いを客観的に判断すると、中国とチベットは全く別の国であると言わざるを得ません。

よって中国がいかに社会主義国家の実現とその伝道を大義名分にしようとも、過去に日本が中国を侵略したのと同様、中国によるチベット人弾圧や、寺院の徹底的な破壊は到底正当化できるものではありません。

本作品はダライ・ラマ14世が、自らの半生を振り返りつつ中国の不当な侵略を訴えている部分もありますが、同様にチベット文化の素晴らしさを世界に向けて発信している側面もあります。


つい最近ダライ・ラマ14世がアメリカを訪問してオバマ大統領と会談しましたが、未だに中国はそれを内政干渉と見なし、ダライ・ラマを中国へ対する分裂主義者と位置付けています。

一方で情けないのは、日本政府はダライ・ラマと未だに政治的な接触を避け続けている点であり、中国政府とチベット亡命政府を天秤にかけ、中国の軍事力の強大さや経済依存度を考慮して、まともな発言や立場表明をしていない有様です。


太平洋戦争において多くの国民の命と引き換えに敗戦を経験して侵略戦争の過ちを知る日本であればこそ、隣人である中国に対しても同じように過ちを指摘する勇気が無ければなりません。

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界

アーロン収容所 (中公文庫)

太平洋戦争に新兵として徴兵され、ビルマ(現ミャンマー)において終戦を迎えてイギリス軍の捕虜となり、収容所で過ごした2年半余りの体験を、ユーモア溢れる人間観察の視点で描いた作品です。

今から50年前に発表されたということもあり、著者の当時の記憶、印象が鮮明な時期に書かれていることが特徴です。


収容所にはイギリス人、ビルマ人、インド人、グルカ(ネパール)人といった多国籍な人種が集まっていますが、何と言っても頂点に君臨するのは、戦勝国であるイギリス兵です。

イギリスといえば「紳士の国」としてのイメージがあり、当時の著者も同じ印象をイギリス人へ対して持っていました。

しかし実際のイギリス兵は、敗戦国である日本をはじめ、有色人種を人間として見なしていませんでした。

著者が経験した家畜を扱うかのようなイギリス兵の態度は、紳士のイメージから程遠いものであり、掃除係の日本人捕虜の目の前では、女性でさえも全裸でもまったく気にしない(=ペットの前で裸になるのと同じ感覚だった)という徹底低なものです。

一方でインド兵は、イギリスの同盟国でありながらも英兵の目線を常に気にする臆病で卑屈な連中に映りました。

しかしインドは1世紀以上にわたって実質的にイギリスに支配されていた国であり、とっくに"支配される側"としてイギリスへ対する反抗心を失ってしまっている姿でもありました。

著者を含めて敗戦間もない日本兵たちの心には自尊心が残っており、インド兵の姿は情けなく思えたのでしょう。


捕虜となり日々の強制労働を半年以上続ける中で日本兵を一切人間と見なさない冷徹さと、家畜を使役するかのような合理的な管理の中で、日本人捕虜たちの反抗心は次第に衰え、やがてイギリス兵を畏怖するように至ります。

作品の各所にもイギリス人を(時には感情的に)批判する箇所が見られ、捕虜として収容所で強制労働を課せられた著者の日々が、それだけ厳しいものであったことを伺えます。


それでも全体的には、著者自らがこの戦争で生死を彷徨い、多くの悲惨な最期を遂げた戦友を目の当たりにしてきたにも関わらず、常にユーモアを忘れない語り口で本作品を描いています。


同じ体験を書くにしても著者の性格が違えば、陰湿で悲惨な体験記で終始しても全く不思議ではない内容です。

日本人捕虜たちが(職人芸ともいえる技術力?)でイギリス軍の倉庫から物品を失敬(泥棒)し、ともすれば絶望感に苛まされる捕虜生活を少しでもマシなものにしようと娯楽のために演劇団まで作り上げて努力する姿は、読者に共感を与えられずにはいられません。

捕虜として強制労働を強いられる極めて特殊な状況下において、各民族のアイデンティティーを冷静に観察し続ける本作品は非常にユニークであり、戦争の悲惨さと、何より馬鹿らしらを後世に伝えてくれるお奨めの1冊です。

原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政

原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書)

タイトルにある通り、日露戦争後から大正時代に活躍した二人の政治家を比較・検討した論文形式の新書です。

山形有朋は明治維新の元勲の1人であり、伊藤博文亡きあと日本で最大の影響力を持った政治家です。

一方、原敬は藩閥政治の主流から外れた盛岡の出身ということもあり、日本の政党内閣の生みの親となった人物です。

日露戦争にかろうじて勝利した日本は、いわば明治政府の樹立以来目指してきた列強国の仲間入りを果たし、これからの国の舵取りの方向性を改めて決定する必要に迫られていた時期です。

山形はロシアとの同盟を元に米英をけん制しつつ、中国での発言権を増すことで日本の大陸における基盤を広げようとする軍事力をベースとした国力の増大を基本路線として考えていました。

原は逆に米英との同盟を基盤にしつつロシアをけん制し、また中国へ対しては内政不干渉を原則とた平和外交路線を前提に、国内の産業を振興することで経済力を基盤とした日本の発展を目指していました。

両者の力を比較した時に、いかに原が総理大臣といえども、元老として総理大臣の人事をも左右する影響力を持った山形との力の差は歴然としており、正面切っての対決は難しい状況でした。


しかしロシア革命により帝政が崩壊し、中国においては南京に拠点を置く孫文の台頭により日本の中国への干渉力が弱まることで、山形の外交路線が崩壊してゆきます。

内政面でも原敬の率いる立憲政友会が、国民の支持を背景に国会において第一党の地位を築き、日本初の政党内閣を実現することで山形も原の実力を無視することは出来なくなります。

極端な話、軍を掌握している当時の山県は実力行使することも可能であったと思いますし、実際に人一倍権力欲の強い性格だったと言われますが、維新の修羅場をしたたかに生き延びた人物だけに自制心を失って暴走するタイプの人物ではありませんでした。

そのため両者が歩み寄ることで、やや原寄りの路線で日本の国策が進められる状況へ変わってゆきます。

しかし原が東京駅で暗殺され、山形も相次いで病死することでパワーバランスが失われ、これが軍部の権力掌握による太平洋戦争突入の遠因を招いたという説もあります。

著者も言及していますが、戦後復興から経済大国としての地位を築きながらも、高齢化・少子化といった問題に直面している今の日本の姿は、2人が活躍していた当時の日本と重なる部分があると思います。

更には、大正時代の関東大震災と今年3月に発生した東日本大震災にも一致する符号があり、被災地の復興と共に今後の国策のあり方を議論するタイミングが来ていると思います。

藩閥政治の弊害を打破した原の政党政治は歴史的に評価されるべき点があるとは思いますが、明治政府創立期においては、藩閥政治により、ブレない政策を実行できた利点もあったはずだと思います。

今の政治は、「管おろし」に代表されるように政党の議席確保に争点が行き過ぎている印象を受け、政党政治の弊害が表面化ししているように思えてなりません。


金曜深夜の討論番組を見ていても(一流ジャーナリストや政治家が出演しているようですが)、「党内」、「辞任」、「過半数」、「幹事長」、「執行部」、「連立」といった矮小化された論議に終始しているのは残念な点であり、現状を打破するのは難しいのではないでしょうか。

また何より憤りを感じるのは、こうした議論を展開する連中が「国民視点」という大義名分を振りかざしている点です。

実際、被災地で避難生活を送っている人たちをはじめ、一般の人たちにとって政党の議席確保争いに興味があるとは到底思えませんし、何よりもブレない実行力のある政策や支援を切実に望んでいると思います。

今こそもう1度、歴史から学ぶ必要があるのではないでしょうか。