原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政
タイトルにある通り、日露戦争後から大正時代に活躍した二人の政治家を比較・検討した論文形式の新書です。
山形有朋は明治維新の元勲の1人であり、伊藤博文亡きあと日本で最大の影響力を持った政治家です。
一方、原敬は藩閥政治の主流から外れた盛岡の出身ということもあり、日本の政党内閣の生みの親となった人物です。
日露戦争にかろうじて勝利した日本は、いわば明治政府の樹立以来目指してきた列強国の仲間入りを果たし、これからの国の舵取りの方向性を改めて決定する必要に迫られていた時期です。
山形はロシアとの同盟を元に米英をけん制しつつ、中国での発言権を増すことで日本の大陸における基盤を広げようとする軍事力をベースとした国力の増大を基本路線として考えていました。
原は逆に米英との同盟を基盤にしつつロシアをけん制し、また中国へ対しては内政不干渉を原則とた平和外交路線を前提に、国内の産業を振興することで経済力を基盤とした日本の発展を目指していました。
両者の力を比較した時に、いかに原が総理大臣といえども、元老として総理大臣の人事をも左右する影響力を持った山形との力の差は歴然としており、正面切っての対決は難しい状況でした。
しかしロシア革命により帝政が崩壊し、中国においては南京に拠点を置く孫文の台頭により日本の中国への干渉力が弱まることで、山形の外交路線が崩壊してゆきます。
内政面でも原敬の率いる立憲政友会が、国民の支持を背景に国会において第一党の地位を築き、日本初の政党内閣を実現することで山形も原の実力を無視することは出来なくなります。
極端な話、軍を掌握している当時の山県は実力行使することも可能であったと思いますし、実際に人一倍権力欲の強い性格だったと言われますが、維新の修羅場をしたたかに生き延びた人物だけに自制心を失って暴走するタイプの人物ではありませんでした。
そのため両者が歩み寄ることで、やや原寄りの路線で日本の国策が進められる状況へ変わってゆきます。
しかし原が東京駅で暗殺され、山形も相次いで病死することでパワーバランスが失われ、これが軍部の権力掌握による太平洋戦争突入の遠因を招いたという説もあります。
著者も言及していますが、戦後復興から経済大国としての地位を築きながらも、高齢化・少子化といった問題に直面している今の日本の姿は、2人が活躍していた当時の日本と重なる部分があると思います。
更には、大正時代の関東大震災と今年3月に発生した東日本大震災にも一致する符号があり、被災地の復興と共に今後の国策のあり方を議論するタイミングが来ていると思います。
藩閥政治の弊害を打破した原の政党政治は歴史的に評価されるべき点があるとは思いますが、明治政府創立期においては、藩閥政治により、ブレない政策を実行できた利点もあったはずだと思います。
今の政治は、「管おろし」に代表されるように政党の議席確保に争点が行き過ぎている印象を受け、政党政治の弊害が表面化ししているように思えてなりません。
金曜深夜の討論番組を見ていても(一流ジャーナリストや政治家が出演しているようですが)、「党内」、「辞任」、「過半数」、「幹事長」、「執行部」、「連立」といった矮小化された論議に終始しているのは残念な点であり、現状を打破するのは難しいのではないでしょうか。
また何より憤りを感じるのは、こうした議論を展開する連中が「国民視点」という大義名分を振りかざしている点です。
実際、被災地で避難生活を送っている人たちをはじめ、一般の人たちにとって政党の議席確保争いに興味があるとは到底思えませんし、何よりもブレない実行力のある政策や支援を切実に望んでいると思います。
今こそもう1度、歴史から学ぶ必要があるのではないでしょうか。