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引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉



父親である大帝コンスタンティヌスの後を継いでローマ皇帝となったコンスタンティウスでしたが、彼は兄弟による帝国統治の分担という遺言に反し、兄弟や親族を次々と倒して唯一の"正帝"の座に就きます。

有力な親族が次々といなくなったため、いわば消去法で"副帝"の地位に就いたユリアヌスにとってコンスタンティウスは、父親を殺害し、さらに兄をも抹殺した張本人でもあったのです。

ユリアヌスは哲学に傾倒していたためか、聡明で冷静な思考力の持主であったために、副帝という権力を手中にした喜びよりも、次は自分が父や兄のような運命を辿ることになるという危機感の方が圧倒的に優っていたのです。

そもそもユリアヌスは権力や裕福な暮らしに興味はなく、ギリシア哲学の偉人のように素朴に人生を送りたかったに違いありません。

そんなユリアヌスは、叔父のコンスタンティウスの命令によりガリアにおける蛮族たちの戦いの最前線に送り込まれることになるのです。

しかも当時のガリアには蛮族の侵入行為が日常化し、ローマ帝国の防衛線(リメス)は崩壊状態にあり、兵士の数や物資も足りず、士気は低く、コンスタンティウスからはろくな援助も期待できないといった八方塞がりの状態でした。

学問しかしてこなかったユリアヌスがローマ帝国の副帝になるどころか、ある日を境にそんな蛮族との戦いを指揮する総司令官を務めることになるのですから、これは悲劇を通り越して喜劇に近いかも知れません。

一方で幼少の頃より数多く読んできた書物の中には、歴史書も含まれていました。

その中でもとりわけ有名な「ガリア戦記」も読んでいたユリアヌスにとって実戦での経験は無くとも、もはや伝説と化したユリウス・カエサルの成し遂げた偉業であれば知識として持っていたのです。

ともかくカエサルのように戦場の最前線で兵士たちを鼓舞し、がむしゃらに先頭を指揮するユリアヌスは局地的な蛮族との戦闘に勝利すると同時に、配下の指揮官や兵士たちの信頼をも勝ちとってゆくのです。

そして大挙して押し寄せたアレマンノ族との大規模な「ストラスブールの会戦」に勝利することによって配下の兵士から英雄として讃えられるに至るのです。

しかしユリアヌスが英雄という評判を得れば得るほど、正帝のコンスタンティウスは脅威を感じることになるのです。

つまりコンスタンティウスにとって、副帝ユリアヌスは"そこそこ有能で恭順な駒"であれば充分であり、自分の名声や権威を脅かすほどの存在になることを望んでいなかったのです。

そんな中、ササン朝ペルシアとの戦いに備え正帝からの有無を言わせない支援要請に憤慨した配下の兵士たちによってユリアヌスはコンスタンティウスへ対して反旗を翻すことを決意するのです。

ローマ帝国正帝の地位を巡って雌雄を決するために軍を進めるユリアヌスでしたが、幸運にもコンスタンティウス病死の知らせを進軍中に受け取ることになります。

自動的に唯一のローマ皇帝となるユリアヌスでしたが、そこで初めてユリアヌスらしい政策を打ち出します。

最初に大帝コンスタンティヌスの「ミラノ勅令」によって公認され、その後は皇帝によって優遇され続けたキリスト教の特別扱いを廃止し、長く信仰され続けてきた多神教であるギリシア・ローマ宗教を復活させたのです。

また巨大な官僚組織をスリム化し、大規模なスリム化に取り掛かります。

皇帝の権力が絶対君主並みに強化されると共に皇帝の側近たちの数も増えた結果、巨大な宮廷組織が形成されつつあったのです。

皇帝の権威を誇示するかのような組織も、多くのことを1人で、もしくは少数の側近たちと決定してきたユリアヌスにとっては無駄にしか思えなかったのです。

それはまるで五賢帝時代の栄光を取り戻すための懐古運動のようでしたが、数年で頓挫することになります。

原因はすっかりローマ帝国の宿敵となりつつあるササン朝ペルシアへの遠征においてユリアヌスが戦死するためです。

もしユリアヌスの治世が数十年に渡っていたら、終焉の足音が聞こえつつあったローマ帝国の運命がどのように変わったのか興味のあるとことです。