ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉
キリスト教化されるローマ帝国の流れに逆らうように多くの改革を実行したユリアヌスでしたが、わずか2年という短い期間で彼の統治は終わりを迎えます。
続いてヨヴィアヌスが後継者として皇帝になりますが、彼の在位も7ヶ月間という短いものであり、しかもその政策のことごとくが先帝ユリアヌスの政策を廃案にするもので、ローマ帝国内には再びキリスト教が力を取り戻します。
続いて登場したヴァレンティニアヌスはもはや恒例となりつつあったように、実弟のヴァレンスともに帝国を東西に分けて共同統治することになります。
ただしローマ帝国がキリスト教を優遇しようがしまいが、また帝国を分割統治しようがしまいが、蛮族たちの侵入が途絶えることはありませんでした。
ヴァレンティニアヌスの10年間の治世は蛮族相手に戦いに明け暮れる日々で過ぎ、そして弟のヴァレンスは侵入してきたゴート族との「ハドリアノポリスの戦闘」で戦死という結末を迎えることになります。
この皇帝自らが総司令官としてローマ軍を率い、不意打ちではなく正面から蛮族と激突した戦闘で大敗を喫すという結果は、ローマ帝国が強大な時代であれば考えられないことでした。
やがて帝国の西方をグラティアヌスが、東方をテオドシウスが統治する時代が到来しますが、この2人はユリアヌスによって一時的に停滞していたキリスト教の浸透をさらに加速する政策を打ち出します。
まずはグラティアヌスが打ち出した政策ですが、次のようにローマで長年に渡り信仰されてきた宗教を排除するものでした。
- 皇帝が兼任することが伝統であった最高神祇官への就任を拒否
- ローマの宗教活動を担っていた女祭司への援助打ち切り
- 元老院会議場の正面に安置されてきた「勝利の女神」像を撤去
- 結果としてフォロ・ロマーノの神殿の中で1135年に保護されてきた「聖なる火」が消える
次にテオドシウスの政策ですが、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した「ミラノ勅令」を更に推し進め、キリスト教以外の宗教を"邪教"として禁止したのです。
これ以降、キリスト教のみがローマ帝国唯一の公認宗教となり、まさに本巻の副題である"キリストの勝利"という結果をもたらすのです。
しかしこのキリストの勝利にもっとも貢献したのはグラティアヌスでもテオドシウスでもなく、彼ら以上に本書で言及されているミラノ司教アンブロシウスです。
特にテオドシウス帝はグラティアヌス帝の死以降、軍事上でも内政上でももっとも権力を持った事実上の専制君主となりますが、彼は若い頃に洗礼を受けキリスト教に帰依しています。
キリスト教徒としての規範を示すのは司教たちの仕事であり、当然のようにその正悪を判断するのも司教であるアンブロシウスであったのです。
しかも後世から"教会の父"と呼ばれるくらいキリスト教の組織化に長けたアンブロシウスは、宗教家としては必要以上に政治的人間であり、まるで皇帝を裏から糸であやつるように影響を与え続けたのです。
そして実際にアンブロシウスの機嫌を損ね、テオドシウス帝が人々の見守る中で膝を屈してアンブロシウスに許しを請う出来事が現実化したのです。
テオドシウスが熱心なキリスト教徒であったことも確かですが、もし皇帝自身が国教であるキリスト教を破門されることがあれば政治的にも致命的な失策となります。
やがて395年にテオドシウス帝の死によっていよいよローマ帝国は最後の1世紀を迎えることになりますが、それより一足先に本巻ではキリスト教によってローマ・ギリシア文明が終わりを告げることになるのです。
たとえアンブロシウスの操り人形という結果にしろ、キリスト教以外を禁止してその布教に貢献したテオドシウスは、コンスタンティヌス以来の"大帝(マーニュアス)"の尊称を得ることになります。
歴史上最初に"大帝"の称号を得たのはマケドニアのアレキサンダー大王でしたが、彼は東征によって広大なオリエント地方を征服することでヘレニズム文化を生み出した功績を残しました。
皮肉なことに同じ"大帝"であるテオドシウスは、領土の拡大どころか進行するローマ帝国の衰退をくい止めることさえ出来なかったのです。