サイレント・マイノリティ
西洋史を題材にした作品で知られる塩野七生氏によるエッセイです。
今までも塩野氏の小説やエッセイは多く読んできましたが、本書は1985年に彼女が作家として初めて手掛けたエッセイ集です。
そのためか今まで読んできたどのエッセイよりも歯切れが良く、何気ない日常を取り上げるというよりも、自分の考えをしっかりと主張しているといった印象を受けました。
それでも作家活動を始めると同時にイタリアに移り住んだ著者は、本書が発表された時点で15年もの間イタリアに在住している経験がありました。
その交友範囲もイタリアの文化人や政治家、実業家など多岐に渡り、彼らを題材にしたエッセイも何編か収録されています。
また彼女の作家としての考えが明確に示されているたエッセイも掲載されています。
いわゆる歴史小説家は有名になればなるほど、世間から史実と異なる部分を指摘されたり、またその史観が公平ではないといった類の批判の声は大きくなっていきます。
そして塩野氏も本ブログでも紹介した長編小説「ローマ人の物語」によって、一躍有名作家の仲間入りをした1人といえます。
塩野氏の執筆スタイルは、その大部分を文献集めや取材に費やすようで、できる限り史実に忠実な歴史小説を書くことを心がけているようです。
しかし1人の人間が膨大な史料すべてに目を通して、間違いをゼロにすることは歴史学者にさえ困難なことであり、それが作家であればなおさらです。
さらに付け加えるならば、研究結果や作品を世の中に送り出してから、ある史実の定説が覆されることも珍しくないのです。
それを充分に承知した上で、彼女は次のように結論付けています。
「小説」を書こうという意図のあるなしにかかわらず、取捨選択は絶対に必要なのである。いや、それだけでは充分でなく、想像力や推理の助けなしには、つなげようもないくらいなのだ。
歴史における国家の盛衰は、その国の国民の精神の衰微や、過去の成功に囚われ堕落してしまうことに起因するという説明は、一見すると説得力があるように思えます。
しかし彼女はヴェネツィア共和国の盛衰史を書いた「海の都の物語」を次のような仮設に基づいて執筆したと言っています。
国家であろうと民族であろうと、いずれもそれぞれ特有の魂(スピリット)を持っている。
そして、国家ないし民族の盛衰は、根本的にはこの魂に起因している。盛期には、このスピリットがポジティーブに働らき、衰退期には、同じものなのにネガティーブに作用することによって。
歴史小説というフィールドでは真実性も大事だが、同時に仮設を立てることも可能であり、最終的にそれが読者を楽しませるものかが問われるはずです。
そして塩野氏は、物語の奥行きを持たせるために、手の混んだ偽史料作りをして作品に登場させたこともあります。
それは専門家さえ欺くほどの手の混んだ偽史料であり、それは実在する史料を引用するよりも困難でした。
これにはイタズラ心もありましたが、その反響の大きさに少し反省した著者は次のように結んでいます。
少なくとも三年間は、偽史料づくりはしないと、と決心したのである。
三年間というのが、今年から続けて三年間にするか、それとも、1年ずつ飛び飛びにするかは、まだ決めていないのだけど。
その他にも作家としては珍しい自身の政治的信条を明らかにするエッセイがあったりと、もっとも新進気鋭だった頃の勢いを感じられる良いエッセイに仕上がっていると思います。