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背中の勲章



日米が真っ向から衝突した太平洋戦争においてアメリカに囚われた日本人捕虜1号として、真珠湾攻撃時に特殊潜航艇の搭乗員であった酒巻和男が知られています。

そして本作品の主人公である中村末吉は、酒巻につづく日本人捕虜第2号になります。

中村は一水(一等兵)として特設監視艇隊に配属され、「長渡丸(ちょうとまる)」の搭乗員となります。
長渡丸」といってもその実体は徴用された漁船に過ぎず、そこに無線機と最低限の武器だけを載せて太平洋上で敵艦隊や飛行隊を監視するという任務に就いていたのです。

しかも無線は敵発見時にしか使用を許されず、それを使用すれば直ちに敵に発信源を突き止められるという運命が待っていました。

当時は陸海軍に限らず、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」という考えが徹底されており、中村らも敵に発見された際には敵の軍艦へ向かって玉砕することが暗黙の任務とされていました。

漁船で敵の軍艦へ体当たりしたところで大した損害を与えられるとは思えませんが、当時は米軍に捕まれば残酷な拷問の末に殺されるというウソが兵士たちへ教え込まれており、何より生きて敵に捕まるのは恥であるという価値観が徹底して刷り込まれていたため、誰も疑問を抱くことはありませんでした。

日本軍の上層部としては助かる兵士の命を救うという考えなど微塵もなく、捕虜として作戦機密を敵に漏らされる方が都合が悪いと考えていたことは明らかです。

その中で主人公の中村は、特攻しようとした漁船を沈められ海上で気絶しているところを捕らえられたのです。

当然のように彼は生きて捕虜になったことを恥じ、まともに尋問に答えることもなく「早く殺せ」の一点張りで押し通し、護送中の船から海へ飛び降りて自殺を図ることさえ試みます。

それでも時間の経過とともに態度を軟化させ、捕虜収容所の中でいつか日本軍がアメリカ本土に上陸して自分たちを解放してくれることに希望を抱くようになります。

しかし月日が流れミッドウェー海戦、、アッツ島、ガダルカナル、硫黄島、沖縄などの生き残り日本兵が収容所へ送られてくると、日本がアメリカ相手に苦戦していることが分かってきます。

加えて捕虜たちはドイツが降伏したという衝撃的なニュースを耳してさえ誰もが最後まで「日本が破れるわけはない。神州不滅だ。必ず日本は勝つのだ。」と信じていたといいます。

これは国を挙げて総力戦を闘い抜くために作り出された法や制度、思想、教育といったものが、日本人へ対しいかに集団的狂気をもたらしたかという歴史的事実を描いた作品でもあるのです。

著者の吉村昭氏は、昭和40年後半に主人公となる中村末吉氏に直接取材をして本作品を完成させています。

終戦後、生きて故郷へ帰り年老いた母と抱き合い泣いた人間と、捕虜収容所のベッドに拘束されたままアメリカ兵へ「殺せー、殺せー」と迫り暴れた人間が同一人物であったことを忘れてはならないのです。