「よかれ」の思い込みが、会社をダメにする
著者の岸良裕司の肩書きは、ゴールドマンラット・コンサルティング・ディレクター。 ゴールドマンラット氏の著書は読んだことがありますが、本書もゴールドマンラットの著書と共通するアプローチで書かれています。
それは経営改善のためのマネジメントを実践するためには、聞き慣れない用語や複雑な計算式を極力排除し、誰にでも分かり易いシンプルな試みの積み重ねが最も効果的であるという手法です。
つまり常に本質的な問題に対して真正面から切り込んでいくというスタイルです。
前提として一般的に正しいと思われている事柄が、単なる「仮定」に過ぎないと断じるところから始まり、その「仮定」に対しての行為が、(懸命であればあるほど)経営を悪化へ導くという意味からタイトルが付けられています。
本章は主にメーカーや小売業を対象に書かれていますが、例えば以下のようなものを「仮定(=思い込み)」として挙げています。
- コストダウンをすれば、利益が増える
- 大量生産すれば、安くなる
- 大量購入すれば、安くなる
- お客様に近ければ、近いほど、市場が見える
- 効率を上げれば、利益が増える
- 納期にゆとりがあれば、納期は守れる
- 早くつくりはじめれば、早くモノはできる
- 全員が一生懸命働けば、効率が上がる
- お客様はコストダウンを求めている
私自身の勤めている会社がメーカーや小売業ではありませんが、一見すると、これらは正しい取り組みのように思えます。
本書では普段我々が無批判で受け入れているこういった目標そのものが、実際の利益とは相反する行為であるとし、パラダイムシフトの重要性を気付かせてくれます。
それと同時に改善のためのオペレーションは全員が一丸となって取り組むよりは、全体の中に潜んでいる一部のボトルネックを探し出し、その1点へ対して集中的に対処を行うのが最も全体最適化への近道であり、容易であるとしています。
本書は150ページに満たない内容でありながらも読者に混乱を与えないよう文章に細心の注意が払われており、丁寧・シンプルに書かれているため、見た目以上に濃い内容となっています。
さらに図式や、著者の分かり易く且つ遊び心のある注釈が多く取り入れられており、マネジメントの本にありがちな理解が難しいと感じる箇所は皆無でした。
本書を読み終わる頃には、いつの間にか上に挙げた常識と思い込んでいたものが、「仮定」でしか無かったと気付かせてくれます。
行き詰った時には努力だけではどうにもならない場合が多く、むしろ前提条件が間違っていた場合、努力すればするほど目的地と反対方向へ進んでしまいます。
何度も本書の中に登場してくる言葉ですが、パラダイムシフト(発想の転換)の必要性とそのヒントを教えてくれる良書です。
原田左之助―新選組の快男児
タイトル通り新選組の十番隊組長だった原田左之助を主人公とした歴史小説です。
若くして伊予松山藩を脱藩した左之助は、新選組の前身である試衛館時代からのメンバーであり、池田屋事件、禁門の変、油小路事件、鳥羽・伏見の戦い等、新選組を世に知らしめた一連の戦い全てに参加しています。
剣術の腕も一流ですが、新選組内では珍しく槍術の使い手としても知られています。
甲陽鎮撫隊に参加した後に近藤・土方と別れ、永倉新八と共に靖兵隊を結成するものの直後に脱退、そして彰義隊に加入・戦死したと伝えられていますが、その真偽は定かではありません。 また坂本竜馬を暗殺した張本人という説もありますが、確かな証拠はありません。
特に坂本竜馬の暗殺に関しては、左之助は無関係だったという説が有力ですが、本書では、左之助が見廻組の佐々木只三郎に協力を依頼されて竜馬暗殺を引き受けるという、作者による新しい仮説で書かれています。
個人的な原田左之助のイメージは、短気で思慮浅い面があるものの、豪快で恐れ知らずの勇敢さがあり、そして愛嬌のある好青年といった感じで、同時代の人物としては、薩摩藩の桐野利秋の人物像に重なります。
本書で描かれている原田左之助は、立派な武士を目指す情熱あふれる青年である一方、(短気では無く)真面目・冷静さを兼ね備えた、サブタイトル通りの快男児といった人物像として描かれています。
歴史上の人物、とりわけ原田左之助のように若くして死んだ(消息を絶った)人物であれば尚更、本人の考え方や性格といった、経歴や業績以外の部分が後世に伝わりにくいというのは当然のことですが、小説は事実である必要が無い分、こういった足りない部分を補うのには最適な手法だと思います。
歴史小説の完成度としては平均的なレベルの作品ですが、物語のラストも作者の想像力を最大限に取り入れた内容となっており、今までの原田左之助とは違ったイメージを読者に与えてくれる作品です。
燃えよ剣〈下〉
新選組がいかに優れた組織であっても、明治維新という時代の大きな変革期において旧体制側に属している以上、その流れに逆らうことは出来ません。
局面の進行に伴い尊王討幕の思想が支配的になりますが、最も強固な佐幕派である新選組でさえも無縁でいられません。
新しい時代の足音が聞こえ始める中で、新選組のトップである近藤勇が朝敵となることを恐れて動揺を見せますが、この時から彼と新選組の運命も坂道を転げ始めます。
もちろん副長である土方歳三も例外ではありませんが、近藤と違い仲間たちが次々と斃れる、もしくは脱退してゆく絶望的な状況においても自らの生き方を貫き通し続け、むしろ劣勢になってから一層の輝きを見せるところに彼の魅力があります。
歴史小説であるがゆえの多少の脚色はあるでしょうが、たとえ歴史的な敗者となっても喧嘩では決して降参はしないという、思想を超えた男としての意地を死の瞬間までストイックに実践する姿にはある種の感動を覚えます。
幕末という激動の時代が新選組を生み、近藤・土方のバックボーンを考えると新選組みの悲劇的な末路は必然的であったと言えます。
本書は新選組を主な物語の舞台としながらも、土方歳三という男がいかに幕末の変動期を生き抜いたかをテーマにした作品であり、読者へ対して「男がいかに生きるかということは、いかに死ぬかを考えることである」という問いかけを投げかけているように思えます。
世の中に氾濫する薄っぺらい処世術の本よりも、こういった作品から自分なりに何かを得るということが大切であると感じさせてくれる1冊です。
私自身何度か本書を読み返していますが、その度に少しずつ違った感想を抱かせてくれる名作です。
燃えよ剣〈上〉
新選組副長の土方歳三を主人公とした司馬遼太郎の代表作の1つです。
局長は言わずと知れた近藤勇ですが、実質的に新選組を運営していたのは土方歳三というのが定説であり、新選組そのものが彼の分身であるかのような印象さえ受けます。
幕末の志士たちの政治思想は尊皇攘夷が主流でしたが、土方歳三に政治的思想はなく、ひたすら新撰組の規律の中にある「士道に背きまじきこと」に代表される武士としての生き方を体現し続けました。
江戸時代という平和な時代が長く続いたこともあり、その末期に至っては多くの武士が形式的な「事なかれ主義」に陥っているのに対して、忠誠を重んじて臆病を罪とする最も厳しい規律を背景に持った新選組の存在はひときわ異彩を放っています。
最盛期でも二百名に満たない人数でありながら、明治維新の震源地であった幕末京都おいて討幕派の志士たちに恐れられた事実は、裏返せばそれだけ新選組が少数精鋭の優れた組織であったという証拠です。
個人的には山南敬助が切腹し、伊東甲子太郎が新選組を脱退するまでが新選組の全盛期だと思いますが、この上巻では新選組の成立から全盛期までが舞台となっています。
敵へ容赦が無いのはもちろんですが、有能であっても隊の規律に反した人間へ対して冷血な粛清を行う姿は今の価値観からは非人間的にさえ見えますが、見方を変えれば幕府やその親藩である会津藩へ対して、これほど忠誠を尽くした組織もありません。
そして最も忠誠を示したのが幕府譜代の家臣ではなく、武州の百姓出身である土方歳三をはじめとした新選組の幹部であった部分に歴史の面白さを感じます。
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