馬賊戦記〈下〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
「馬賊戦記」の下巻です。
馬賊として名声を得た白朗ですが、その胸中は、馬賊間で高まりつつある抗日闘争と日本人としてのアイデンティティとの間で葛藤が続きます。
結局は白朗自身の発言力もあり、日本軍と共生する道を選ぶことになります。
しかし日本軍の大部分の幹部は、馬賊たちを見下して都合よく利用することしか考えていないため、その蜜月が長く続くことはありませんでした。
やがて自らの支配下にある馬賊たちを中国へ脱出させ、やがて自らも北京に活動の場を移すことになります。
昭和に入って軍閥が解体しつつあり、日本やロシアの発言力が増すにつれ、馬賊の全盛期は昔日のものとなりつつありました。
本書に登場する白朗も都落ちした馬賊の1人であり、作品中にもどこか哀愁が漂っています。
その要因は様々ありますが、巨大な近代国家が本腰を入れて介入してくることで村や町単位を地盤とした馬賊集団では、重火器、戦車、戦闘機といった軍隊と正面衝突するのは難しく、日本、ロシアいずれかの陣営につかない限り、その活動には限界がありました。
近代へ至る過程でイタリアの都市国家が衰退してゆく姿と根本的には似ている気がします。
その後の白朗の活躍は北京、南京、上海と舞台を移してゆき、馬賊というより大都市の影の権力者としての名声を得て勢力を拡大してゆきます。
日本人でありながら中国の裏社会で生きてきた白朗は、その活躍の場が特殊なこともあり、日本での知名度や評価は低く、歴史の隅で忘れられてしまうような存在でした。
"満州"、"馬賊"といった思い入れで本作品を読み始めたこともあり、下巻は馬賊の話と離れてしまいましたが、あくまでも白朗は白朗であり続け、勇敢なだけでなく、抜け目のない馬賊の攬把としての流儀を貫き通したように思えます。
いずれにしても白朗自身が存命中に、本人自らが著者の朽木氏へ関わる形でこうした1つの作品に纏め上げられたというのは幸運であったといえます。
小説ゆえの着色もあると思いますが、日本に生まれ満州へ渡った1人の快男児の物語が鮮やかに描かれている歴史的な作品ではないでしょうか。
馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
以前より読んでみたいと思っていた作品、馬賊小説の金字塔ともいえる作品です。
主人公は、満州の歴史に詳しい人なら1度は聞いたことのある日本人馬賊として有名な"小日向白朗"です。
馬賊の首領を"攬把(らんぱ)"といいますが、特に大きな勢力を誇る馬賊の首領を"大攬把"と呼び、更に複数の大攬把を束ねている人物を"総攬把"と呼びます。
広い満州においても"総攬把"と呼ばれるほどの人物は数人しかいませんでしたが、白朗は日本人でありながら、馬賊の奴隷の身分から総攬把にまで出世した数奇な運命を辿った人物です(ちなみに「中原の虹」の主人公"張作霖"も総攬把の1人です)。
日清戦争、日露戦争に勝利した日本は、大正時代には近代国家として国際的に認められる存在になっています。
しかし中国大陸では、清の崩壊後に各地で軍閥が台頭し、やがて国共内戦へと発展してゆく混乱の時期にあり、特に満州は日本やロシアの直接的な干渉もあって、より混沌とした地域でした。
そんな中国へ単身で渡り、数々の困難を乗り越えてゆく快男児"小日向白朗"の活躍は痛快であり、読者を飽きさせません。
馬賊と一口に言っても単なる"ならず者"の集まりではなく、武力で住民の利益を守る"自警団"といった性格が強い集団です。
本書でも書かれているように、略奪を繰り返して焚き火を囲んで肉を食らうような山賊のイメージとはほど遠いものです。
馬賊といえば住民からはヒーローのように憧れられ、尊敬すらされる存在でした。
こう考えると馬賊として勇敢で腕っ節の強さ、銃や馬の扱いに長けているというのは当たり前で、攬把として成功するにはさらに"仁侠"が求められます。
これは人間としての器量の大きさやが伴わなければ実践するのは難しく、時には他人のために自分の命を諦めなければならないくらいにシビアなものです。
がむしゃらに突き進む白朗もやがて敗北を味わい、千山にある道場"無量観"の大長老"葛月潭老師"に匿ってもらうことになります。
しかし転んでもタダで起きないのが白朗です。
千山での拳法修行を経て、やがて葛月潭老師より「尚旭東(しゃんしゅいとん)」の名と破魔の銃「小白竜(しょうぱいろん)」を授けられ、満州各地で匪賊と化した凶悪な攬把を1対1の対決で葬ってゆく姿は、ヒーローの名に相応しいものです。
とにかく大正から昭和初期の混沌とした満州の魅力を凝縮したかのような小説であることは間違いありません。
統ばる島
沖縄の八重島諸島の8つの島それぞれを舞台にした、8つの短編小説からなる1冊です。
今回はじめて読んだ作家ですが、著者の池永一氏は石垣島出身ということもあり、他にも沖縄を舞台とした作品を何冊か発表しているようです。
八重島諸島は15世紀に琉球王国の版図に組み込まれましたが、元来、独立心が旺盛で自ら「ヤイマンチュ」と称し、沖縄本島の「ウチナーンチュ」と意識的に区別していたようです。
一方で文化圏としては1つと考えてもよく、沖縄本島のように開発(都市化)が進んでいない分だけ伝統的文化が色濃く残っている地域であるともいえます。
著者もそうした背景を意識的に取り入れ、八重島諸島の日常と神秘性を織り交ぜた内容に仕上がっています。
小説の題材は恋愛からホラー調のものまで多岐に渡りますが、作品全体のキーワードは島を守護する神々、未開の自然、御嶽、そしてニライカナイ信仰を軸とした、ファンタジー色の強いものになっています。
沖縄の文化に興味を持っている人であれば夢中で読めてしまうこと間違いなしの作品ですが、そうした予備知識が無い人にとっては作品中に詳しい解説が無いため、本作の魅力が十分に伝わらないかも知れません。
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