レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

私本太平記(一)


歴史小説の重鎮だけあって吉川英治の代表作といえば「三国志」や「宮本武蔵」、「新・平家物語」など多くの名作を挙げることができますが、個人的には数ある作品の中で本書「私本太平記」は一二を争うお気に入りです。

三国志」、「戦国時代」、「明治維新」、日本の歴史ファンとってこの3つがもっとも人気のある時代ですが、本書が扱っている南北朝時代はそれに劣らないほど魅力的な時代です。

個性の強い魅力的な武将が割拠する戦国時代の要素、そして後醍醐天皇が中心となって朝廷(宮方)の求心力を復活させるべく繰り広げられる倒幕運動には明治維新の要素があります。

本作品はそんな南北朝時代を「三国志」と同じく、通史の形式で執筆しています。

ちなみに南北朝時代の特定人物にスポットを当てた作品としては、北方謙三氏の南北朝シリーズが有名です。

そんな壮大な歴史物語の始まりは、弱冠17歳の足利高氏(のちの尊氏)が大晦日に京の居酒屋で酔い潰れて居眠りしているところから始まります。

そこでは国元の両親も健在であり、いわゆる部屋住みで人生の目的を持てず刹那的に日々を過ごしている若き日の高氏が象徴的に描かれています。

武家政権の頂点に君臨する鎌倉幕府14代執権・北条高時は政治よりも闘犬や田楽に夢中になっているものの、その脇を固める北条一族は強大であり、少なくとも表面上は天下泰平の日々が続いていました。

一方で鎌倉から遠く離れた京都では、のちに時代を激動させる中心人物が密かに倒幕のために動き出していました。

その人物こそが第96代後醍醐天皇です。

実際には側近の日野俊基日野資朝といった過激派の公卿たちが後醍醐天皇の手足となり、諸国を渡り歩き討幕運動を働きかけていました。

それは戦乱のない平和は表面上の見せかけであり、実際には重税に苦しめられる農民、公然と賄賂が横行する北条氏の治世下で怨嗟の声が日本各地に広がりつつあったことを意味していました。


明治維新において積極的に活動した志士たちは藩士や浪人であったりしましたが、この時代に活躍した元祖志士たちは天皇に直接仕える公卿だったのです。

しかもその計画の中心にあって彼らを直接指揮したのが天皇自身であったという点が後世の幕末時代とは大きく異なります。


しかし後醍醐天皇を中心とした倒幕運動が実行に移される前に、幕府の出先機関であり強力な捜査網と武力を兼ね備えた六波羅探題に察知され、後醍醐天皇は無事だったものの主だった人物が処罰される、いわゆる正中の変によって計画は一旦頓挫してしまうのです。

機はまた熟しておらず、のちに戦乱の世へ踊りだすことになる足利尊氏新田義貞、そして楠木正成といった武将たちは未だ眠りから覚めていませんでした。