皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上)
中世ヨーロッパには各地に封建領主が存在しており、彼らを束ねるようにして国王という存在がありました。
国王も実質的には封建領主の1人であることには変わらず、武家が日本各地を支配し、彼らの棟梁として将軍が存在していた当時の日本と状況は似ていると言えます。
ただし大きく異なるのは、キリスト教の最高指導者としてのローマの教皇がヨーロッパ全域に絶大な影響力を誇っていたという点です。
ルネッサンス、そして宗教改革が行われる前のヨーロッパの人びとは、ローマ教皇を頂点とするキリスト教的世界観の中で暮らしていたといえます。
それは国王とて例外ではなく、教皇には破門という伝家の宝刀がありました。
破門されるということは神の庇護を失い、死後の天国への道を閉ざされることを意味しましたが、現世においても破門された者が領するすべての地に住む領民は、服従の義務から解放され税を支払う必要がなくなるとされていました。
実際に神聖ローマ帝国の皇帝であるハインリヒ四世は破門された際、ローマで雪の降る中、粗末な修道服を着て裸足のまま断食と祈りを続けて許しを請うという羽目に陥り、カノッサの屈辱として世界史の中でも有名な出来事として知られています。
一方、本作品の主人公である神聖ローマ帝国皇帝・フリードリッヒ二世は、教皇の権力が強力だった時代に生涯3度も破門され、謝罪どころか法王と対立を続け、破門を解かれることなく亡くなった人物です。
単に破門を受けただけでは反骨心あふれる国王ということになりますが、特筆すべきは全ヨーロッパに君臨していた教皇を敵に回しつつ、神聖ローマ帝国をヨーロッパ随一の強国としてまとめ上げ、さらに南イタリアとシチリア島を支配するシチリア王国の国王をも兼ね続けていたという点です。
この中世ヨーロッパの価値観に真っ向から立ち向かった人物を取り上げた理由を著者である塩野七生氏は次のように紹介しています。
この中世的ではまったくなかったこの人が、誰と衝突し、何が原因で衝突をくり返したのかを追っていくことで、かえって「中世」という時代がわかってくるのではないでしょうか。
ちなみにフリードリッヒ二世は叩き上げで立身出世を果たした人間とは正反対で、その正統な血筋によって、わずか17歳にして帝国の皇帝、そして国王を兼任する地位に就きます。
フリードリッヒ二世はのちに類まれな外交と内政能力を発揮しますが、はじめからその能力が備わっていたわけではありません。
彼の両脇をチュートン騎士団長のヘルマンとパレルモの大司教ベラルドという一回り以上も年上の有能な協力者が固めていたのです。
ちなみにチュートン騎士団はキリスト教の宗教騎士団であり、大司教は法王により任命される地位です。
つまり本来であればフリードリッヒ二世ではなく、教皇へ忠誠をつくすべき2人が生涯にわたり味方であり続けた点が大きかったといえます。
しかし2人の協力が盲目的だったわけではなく、彼の指導者としての優れた素質を見抜き、またその人間性に魅せられたからこその協力であったはずです。
中世ヨーロッパにおいて反逆者と言われながらも、当時の常識に囚われない自由な発想で時代を駆け抜けたフリードリッヒ二世の生涯を存分に楽しめる1冊です。