闇を裂く道
本書は大正7年に着工し、実に16年もの歳月をかけて完成した8キロもの長さを誇る丹那トンネル開通までの過程を小説にした作品です。
吉村昭氏によるトンネル工事の記録小説といえば「高熱隧道」が有名ですが、トンネルの知名度ということであれば東海道本線が通る丹那トンネルの方がはるかに有名です。
かつて東海道線は、神奈川県の国府津から静岡県の沼津間を走る現在の御殿場線を通っており、箱根の山を避けるように大きく北へ迂回していました。
東海道は江戸時代から日本にとって最大の幹線であり、この路線の効率化は国家規模の命題であったことは明らかでした。
そんな背景があり熱海口、三島口の両方からトンネル工事が開始されますが、当初は順調に工事が進んでゆきます。
しかし完成までに16年もの歳月を要したことから分かる通り、間もなく困難にぶつかることになります。
先人谷ダム建設のためのトンネル工事(高熱隧道)では、高熱の岩盤と熱水、そして雪崩に苦しめられましたが、丹那トンネル工事では大量の湧き水と軟弱な地盤が工事の行く手を阻みます。
トンネル工事で大量の湧き水処理に悪戦苦闘する一方で、その真上に位置する丹那盆地の湧き水が涸れ、住民たちは深刻な渇水問題に苦しむことになります。
そしてトンネル工事にとって軟弱な地盤は、硬い岩盤以上に厄介な存在であり、工事従事者たちが「山が抜ける」と表現する軟弱な地盤が地中の土石を支えきれずに発生する崩壊事故の危険性がありました。
そして大正9年に何よりも恐れられてた大規模な崩壊事故が発生することになります。
この事故では16名が命を失い、さらに17名の作業員が退路を絶たれて地中に閉じ込めるという事態が発生します。
真っ暗闇の中で徐々に酸素が尽きてゆくという絶望感、一方で不眠不休で必死に彼らを救出しようとする模様が作品から重苦しく伝わってきます。
崩壊事故はその後も発生し、最終的に丹那トンネルが開通するまでに67名もの犠牲者を出す難工事となります。
今までで東海道新幹線を利用して神奈川~静岡の県境間に長いトンネルがあることは何となく意識していましたが、こうした難工事の上に成り立っている便利さであるということまでに思いを馳せることはありませんでした。
慰霊碑だけでは伝わらない先人たちと自然との闘いの記録が本作品には収録されており、後世に読み継がれる本であってほしいと思います。