本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

深夜特急4―シルクロード―



デリーからロンドへバスで走破するという目的で日本を旅立った著者(沢木耕太郎氏)は、途中香港や東南アジア、インドに立ち寄り、シリーズ後半となる第4巻でようやくデリーから出発します。

本巻では、インド~パキスタン~アフガニスタン~イランというルートをバスで走破することなりますが、そこでパキスタンのバスは世界で最も恐ろしい乗り物であることを知ります。

運転手は眼の前にあるすべての車を追い抜かなければ気がすまないらしく、対向車線に大きくはみ出して前方のバスを追い抜こうとします。

しかし後続車に並ばれたバスもスピードを緩めず、猛スピードで2台のバスが並走することになりますが、そこにもう1台のバスが対向車として現れます。

それでもこの3台のバスはいずれもがスピードを落とすことなく、避けようともしません。

著者がもうだめだと眼をつぶり、再び眼を開けると不思議と3台とも何事もなかったように走っていると言います。

まさに神業ですが、もちろんそれがいつでも通用するわけではなく、事故も頻発しているようであり、当たり前のように乗客としての乗り心地は過酷なものとなります。

どうもパキスタンのバス運転手にとって後続車に追い抜かれたり、自分から対向車を避けたりすることは彼らのプライドが許さないらしく、それが乗客の安全よりも優先される感覚はなかなか日本人には理解できないものではないでしょうか。


本シリーズを通じて言えることですが、乏しい所持金で旅を続けるバックパッカーにとって重要な資質の1つは、「値切り」の交渉能力ではないかと思えてきます。

これもスーパーやコンビニ、チェーン店が溢れている日本人にとって慣れない習慣ですが、そもそも相手から提示される金額は交渉開始の値でしかなく、それをどこまで下げれるかは交渉次第ということになります。

著者の旅したこの時代にはインターネットがあるわけもなく、バックパッカーたちの間でその国の物価の相場感を把握しておくことも重要なことでした。

イランにあるイスファハンのバザールを訪れた著者は、バザールで気に入った懐中時計を見つけ3日がかりで値下げ交渉を続け、最初の提示額から半額以下で入手することに成功します。

この時に著者も少し値切り過ぎたと後悔しますが、世界に名高いペルシャ商人が損をするような価格で物を売ることはあり得ないと考え直し、尊敬の念すら抱くようになります。

本巻からはロンドンへのバス走破という具体的な目的へ向かって動き出し、今までのようにアテもなく1ヶ所に長期滞在することは少なくなります。

旅にテンポが生まれ始め、いよいよゴールに向かって動き出したという緊張感のようなものが、バスに揺られる著者の様子から読者にも感じられるのです。

深夜特急3―インド・ネパール―



デリーからロンドンまでのバス旅行を計画した著者(沢木耕太郎氏)は、途中で香港やバンコクを経由してかなりの時間を滞在することになりました。

そしていよいよバンコクからデリーへ出発しようという段階になって、行く先をカルカッタへ変更することになります。

インドといえば著者のようなバックパッカーたちにとって聖地と言われる場所です。

まずは物価が安いこともありますが、混沌として雑多なものを受け入れる懐の深さにハマってしまう旅行者が多いようです。

例に漏れず著者もカルカッタで香港以来の興奮を体験することになります。
それは街を歩いているだけで、日本では目にすることが出来ないさまざまな景色を見ることができるからです。
たとえば路上には、カラスと一緒に残飯をあさる老婆がいれば、犬に石を何個もぶつけて吠え出すかを賭けている子供たちもいる。牛に売り物の青草を盗まれる女もいるし、ネズミを商売のタネにしている男もいる。

お世辞にも衛生的とはいえない街中でこのような光景を見て、著者は次のような感想を抱きます。
カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。
だが、それらのすべてが私にはなつかしく、あえて言えば心地よいものだった。

昭和22年(1947年)に生まれ、昭和30年代に少年時代を過ごした著者は、カルカッタの子供たちが粗末な服を着て路上を走り回っている姿を見て、貧しくも毎日が楽しかった少年時代を思い出していたのです。

その後もインドの各地やネパールのカトマンズへも訪れたりと精力的にインドやその周辺を動き回ります。

ヒンドゥー教の聖地・ベナレス(バラナシ)を訪れた際には、一日中死体焼場で焼かれたり、川へ流されたりする死体を眺め続けるといった過ごし方をしたりしています。

本来人が集まる街には、そこに住む人の数だけ死があるはずですが、たとえば路上の行き倒れといった光景を現代の日本のような街中で見かけることはなく、ある意味で"死"はなるべく人目につかないように隠蔽されていると考えることができ、本来インドのような光景の方が自然なのかもしれません。

著者は人気のある観光名所にほとんど興味や感慨を抱くことはなく、異国の地に住む人びとやその生活の営みの中に異文化の刺激を受けることを求めていたのです。

そうした意味ではインドは著者にとって期待を裏切らない土地であったことは間違いなく、同時にこの旅の中でハイライトといえる場面であったかもしれません。

深夜特急2―マレー半島・シンガポール―



香港とマカオでの滞在を存分に味わった著者(沢木耕太郎氏)は、次なる中継地であるバンコクに降り立ちます。

元々の旅の目的はデリーからロンドンまでバスで移動するというものでしたが、厳密な旅行日程があるわけでもなく、気に入った街があれば気が済むまで滞在するというバックパッカーらしい旅行を続けていたのです。

ただ1つの難点といえば旅行資金が潤沢ではないため、その国でもっとも安い部類の宿に宿泊し、食事も訪れた国の安くて大衆的な料理を選択するという、倹約を通り越して完全な貧乏旅行であったという点です。

それは物価の安い東南アジアでも変わらず、一泊450円の宿に滞在し、75円の定食を食べるという徹底ぶりでした。

バンコクもタイの首都というだけあって賑わっている町でしたが、著者は香港やマカオで味わった興奮と比べて物足りなさを感じていました。

もちろん旅行で訪れた国が自分にとって肌が合う合わないは個人差であり、さらに言えばたまたま出会った人に騙されたか、逆に親切にしてもらったかという偶然性によっても印象は大きく変わります。

著者はとにかく次なる目的地をシンガポールに定め、バンコクから列車でマレー半島を南下することにします。

それでも一気に電車で走破するようなことはせず、気になった土地があれば途中下車して何日か滞在するといった気ままな旅が続きます。

安さを求めて滞在した宿が娼婦宿だったこともあり、そこで娼婦ばかりか彼女たちのヒモとも仲良くなるという貴重(?)な経験をしながら少しずつ南下してゆき、とうとうシンガポールに辿り着きます。

そこでは日本の特派員と偶然知り合い色々と面倒を見てくれますが、そこでも香港で出会ったような刺激には経験できない自分に漠然とした不満を抱くことなります。

そして著者はそこであることに気付きます。
それはシンガポールはシンガポールであって香港ではなく、本来まったく異なる性格を持っているはずの街で香港の幻影を追い求めてしまったことです。

新しく訪れた街で別の楽しみ方を発見できていれば、もっと刺激的な日々を過ごすことが出来たのではないかと気付くのです。

とはいえ、言うまでもなく香港は中国の文化そももの街であり、東南アジアの各都市も少なからず中国、つまり華僑の文化的影響を受けていることは間違いありません。

そう総結論を出した著者は、中国の文化圏に属さない、明らかに異なるもう1つの文化を持つ国"インド"へ向かって旅立つことを決意するのです。

ところで文庫版の深夜特急には各巻末に本編とは別にゲストとの対談が収録されています。
今回紹介した第2巻では、1984年に「平凡パンチ」に掲載された著者と高倉健氏との対談が掲載されており、2人の波長が合うせいか、彼の寡黙なイメージとは違い、多弁で本音を語る高倉健が垣間見れるもの興味深いです。

深夜特急1―香港・マカオ―



ノンフィクション作家沢木耕太郎の代表作の1つが今回紹介する「深夜特急」です。

彼は1947年生まれの団塊世代ですが、大学を出て就職するものの、たった1日で会社を辞めてしまい、26歳のときにインドのデリーからイギリスのロンドンまでバスを使って旅をすることを思い立ちます。

いわゆるリュック1つで旅行をするバックパッカーですが、当時はまだそうした言葉もなく、彼らは単なる旅好きのヒッピーと見なされていました。

直通でデリーへ向かうことも出来ましたが、たまたま入手した格安チケットが2箇所の中継点を経由(ストップオーバー)できるチケットだったため、著者は香港とバンコクを経由することにします。

バックパッカーといえば少しでも長く多くの外国を旅するため、快適さよりも値段を重視して倹約に努めながら旅を続けます。
いわゆる貧乏旅行ということになりますが、香港に降り立った著者は、ゴールデン・パレス・ゲストハウス(通称:黄金宮殿)という宿に腰を落ち着けることになります。

大げさな名前が付いていますが、そこは一泊1000円の汚く狭い部屋が用意されているだけであり、怪しい人物が出入りしている宿だったのです。

いきなり最初に訪れた香港の空気が著者に合っているのか、著者は毎日のように積極的に香港中を観察します。

そして香港の住人、怪しげな人、学生、香港で働く日本人、同じ境遇にある旅人など、出会う人びとも雑多であり、まさしくバックパッカーとしての醍醐味を味わうことになります。

香港からフェリーに乗ってマカオにも訪れ、その代名詞でもあるカジノを体験することになります。

はじめは初体験のカジノで少し遊ぶだけのつもりでしたが、結果的に飲食も睡眠も忘れて熱中するほどのめり込むことになり、いきなり所持金をすべて失う危機にも遭遇します。

そこでカジノには運の要素だけでなく、ディーラーとの駆け引きや確実に存在するインチキといった多くの要素が複雑に入り混じって成立していることを知ります。

カジノは駆け引きや心理状態を描写するだけで1冊の長編小説が書けるほど奥深いものであり、著者もその魅力にすっかりハマってしまうのです。

まだまだ目的地からほど遠い、香港界隈で時間が過ぎてゆく様子から、読者としては本当にこの旅は目的を達成できるのかと疑問を持ってしまいますが、よく考えると使用できるお金には限度があるものの、日本での仕事を整理して旅立った著者には時間的な制限はなく、好きな場所に好きなだけ滞在するという旅の仕方はバックパッカーの特権であるといえます。

若者らしい強い好奇心と旺盛な行動力、そして方向性の定まらない情熱といったものが混沌となって異様にテンションの高い内容になっており、のちに多くのバックパッカーたちへ影響を与えた作品であることが納得できる1冊です。

襲来 下



早くから外敵の襲来を予言していた日蓮からの依頼によって、小湊片海の元漁師であった見助はたった1人で対馬へ赴ことになります。

見助は外敵が一番最初にたどり着くであろう対馬において様子を探るという任務を帯びているわけですが、その滞在期間はなんと10年を超えることになります。

日蓮は外敵の襲来を予言はしても、その具体的な時期までは言及しなかったからです。

いかに尊敬してやまない日蓮の頼みとはいえ、生国から遠く離れた地で何年もの間を過ごすというのは尋常ではありません。

しかし見助はそこで無為に日々を過ごすのではなく、土地の言葉や習慣を身に付けて、自然と島人の1人として暮らすようになり、密かに思いを寄せる女性にも出会うことになります。

言わば10年という月日は、見助が対馬の住人の1人としてモンゴル襲来を体験するための準備期間であったということになります。

見助と遠く離れた日蓮は、松葉ヶ谷の法難に引き続いて伊豆や佐渡ヶ島へ流罪となるなど、幾度となく困難を経験することになります。

そして見助の身にもついにモンゴル襲来という形で危機が訪れることになるのです。。


本作品はタイトルにある通り、モンゴル襲来という大きな歴史的来事を軸としながらも、本質的には見助と日蓮という2人の生涯、そしてその絆を丁寧に描いている作品です。

上下巻合わせるとかなりの分量になりますが、生まれ故郷を出ることなく田舎の漁師として一生を終えるはずだった見助が、日蓮をはじめ多くの人びとと出会い成長してゆくという物語です。

日蓮や北条時宗を主人公とせず、あえて彼らと同時代を生きた名も残らない民衆の1人を主人公とすることで、新鮮な視点を与えてくれます。

そして見助が出会い一緒に過ごす人びとの大部分も同じく歴史書に登場しない民衆たちであり、歴史小説というより歴史文学といった印象を受けた作品でした。