深夜特急3―インド・ネパール―
デリーからロンドンまでのバス旅行を計画した著者(沢木耕太郎氏)は、途中で香港やバンコクを経由してかなりの時間を滞在することになりました。
そしていよいよバンコクからデリーへ出発しようという段階になって、行く先をカルカッタへ変更することになります。
インドといえば著者のようなバックパッカーたちにとって聖地と言われる場所です。
まずは物価が安いこともありますが、混沌として雑多なものを受け入れる懐の深さにハマってしまう旅行者が多いようです。
例に漏れず著者もカルカッタで香港以来の興奮を体験することになります。
それは街を歩いているだけで、日本では目にすることが出来ないさまざまな景色を見ることができるからです。
たとえば路上には、カラスと一緒に残飯をあさる老婆がいれば、犬に石を何個もぶつけて吠え出すかを賭けている子供たちもいる。牛に売り物の青草を盗まれる女もいるし、ネズミを商売のタネにしている男もいる。
お世辞にも衛生的とはいえない街中でこのような光景を見て、著者は次のような感想を抱きます。
カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。
だが、それらのすべてが私にはなつかしく、あえて言えば心地よいものだった。
昭和22年(1947年)に生まれ、昭和30年代に少年時代を過ごした著者は、カルカッタの子供たちが粗末な服を着て路上を走り回っている姿を見て、貧しくも毎日が楽しかった少年時代を思い出していたのです。
その後もインドの各地やネパールのカトマンズへも訪れたりと精力的にインドやその周辺を動き回ります。
ヒンドゥー教の聖地・ベナレス(バラナシ)を訪れた際には、一日中死体焼場で焼かれたり、川へ流されたりする死体を眺め続けるといった過ごし方をしたりしています。
本来人が集まる街には、そこに住む人の数だけ死があるはずですが、たとえば路上の行き倒れといった光景を現代の日本のような街中で見かけることはなく、ある意味で"死"はなるべく人目につかないように隠蔽されていると考えることができ、本来インドのような光景の方が自然なのかもしれません。
著者は人気のある観光名所にほとんど興味や感慨を抱くことはなく、異国の地に住む人びとやその生活の営みの中に異文化の刺激を受けることを求めていたのです。
そうした意味ではインドは著者にとって期待を裏切らない土地であったことは間違いなく、同時にこの旅の中でハイライトといえる場面であったかもしれません。