レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

呉漢(下)



貧しい小作農民の子として生まれ、その勤勉さを評価されて停長という地方役人に抜擢された呉漢ですが、自分の師であり賓客として扱っていた祗登(きとう)が親の仇討ちのために殺人を犯したため、自らも罪に連座されることを恐れて職を投げ出して逃亡します。

呉漢は保身のために師を売ることはしない人物でした。

彼は自分を慕う部下たちと共に河北地方へ向かい、そこでの紆余曲折を経て、やがて運命の劉秀と出会います。

この頃は中国各地で自ら皇帝と名乗る人物や、盗賊団などが跋扈し、劉秀自身もその中の1人に過ぎませんでした。

そこで呉漢は劉秀の躍進とともに大司馬(軍事の最高責任者)に抜擢されます。

呉漢は各地で転戦を重ねますが、彼の面白いところは天才的な戦略を駆使するタイプでも、無双の武力を備えたタイプの将軍ではなかったことです。

たしかに彼の部下には武力に優れた部下がいましたが、呉漢自身は人の本質を見抜く目を備えていたのです。

そして彼が迷ったときには、師として尊敬する前述の祗登(きとう)が助言を行います。

つまり人を見る目があるということは、すこし拡大解釈すれば人の考えていることが分かるということであり、戦争においては相手の裏や、裏の裏を察知する能力につながってゆくのです。

また劉秀からの絶大な信頼を寄せられていたという点においては、その能力はもちろんですが、彼の誠実な性格を知っていたという点も大きかったのです。

実際、劉秀から離反して反旗を翻す将軍も登場しますが、ひたすら呉漢は劉秀のため、そして天下平定のために働き続けるのです。

これを現代風に例えると社員として誰よりもよく働き、成果を出し続けた会社に忠実な社員ということになりますが、客観的に見ると、こうした人物を物語の主人公にしても読者はあまり楽しめません。

しかしこの作品からは、呉漢という人間の奥行きの広さを感じられます。

それは登場人物の魅力もさることながら、呉漢と祗登、呉漢と劉秀という血の通った、強固な人間同士のつながりといった要素が物語全般に渡って取り入れられているからだと言えます。

歴史書の文字を表面から追っただけでは見えてこない、彼らの内面を見つめて物語として紡ぎ出すという、歴史小説家・宮城谷昌光氏の見せ所を充分に堪能できる名作です。