バチカン大使日記
著者の中村芳夫氏は長年に渡り経団連で勤務し、のちに民間出身でありながら駐バチカン大使を約4年間(2016~2020年)を勤めたという経歴を持っています。
バチカンといっても国土は東京ドーム10個分の広さしかなく、皇居よりも小さい面積しか有していません。
さらに人口はわずか600人強しかなく、武力も経済力も有していない小さな国家です。
そもそも本書を読むまでバチカンに日本の大使館があることすらも知りませんでしたが、そんなバチカンは世界中に大きな影響力を持っています。
それは世界中に13億人いると言われるカトリック信徒たちであり、バチカンの教皇はその頂点に立つ存在なのです。
つまり物理的な国力ではなく、宗教という結びつきで国境を超えた影響力を有している国であり、日本の外交戦略の面から考えても重要な国であることが分かります。
かつて教皇が持っていた権力は中世ヨーロッパ世界においては国王以上であり、宗教のみならず政治的な影響力という点でも社会の頂点に君臨していた時代がありました。
その影響力の一部が21世紀においても脈々と生き続けていることが分かります。
タイトルに「日記」という言葉が使われていますが、本書は日記形式というよりバチカンの紹介、大使在任中のおもな出来事、そして何より自身もカトリック信者である著者は、教皇(バチカン)の教えや経済、平和に対する考え方について紙面を割いて紹介しています。
まず著者在任中のもっとも大きな出来事として挙げられるは、2019年11月23日に実現した教皇の訪日です。
訪れた広島、長崎でのスピーチ、東京では東日本大震災の被災者と面談し、さらに当時の安倍首相とも会談を開きます。
そこからはバチカンが単なるキリスト教の伝導、カトリック信徒たちの代表者としての顔だけでなく、国際社会において明確な政治的主張を持っていることが分かります。
まず代表的な主張として、いかなる場合においても武力行使への反対、特に核兵器の廃絶を強く訴えています。
しかしアメリカやヨーロッパをはじめカトリック信者を多く抱える国々の中には核兵器の保有を続けると国家が存在するというのが現状です。
また経済面では貧しい人びと、言い換えれば経済発展の恩恵から取り残された人々への支援を主張しています。
さらには資源を浪費する自由主義経済の行き過ぎへの警鐘、持続可能な経済の実現が現在のバチカンの考えであり、これも西欧諸国の経済政策とは必ずしも一致していません。
著者は経済のエキスパートということもあり、こうしたバチカンの考え方についても分かりやすく解説してくれています。
もちろんカトリック信徒たちの考え方も一枚岩ではなく、バチカンは宗教的な活動に専念するべきという保守的な考えも存在するのも事実です。
本書はバチカン大使としての日常を面白おかしく紹介するといった類の本ではなく、多くの日本人にとって馴染みの薄いバチカンそのものを紹介する教養書としての側面が強い内容になっています。