レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

花渡る海



"漂流"といえば、吉村昭氏の小説でたびたび扱われるテーマです。

舵や帆柱を失った船が潮の流れに身を任せるままに大海を漂い、飢えと渇きに苦しみながらどこかに漂着、または他の船に救助される確約もない乗組員たち。

吉村氏は、こうした極限の状態に置かれた人間を描写するのを得意としています。

その文章には大げさな表現や長いセリフがなく、簡潔かつ俯瞰的に彼らの置かれた状況を説明し、人物の心理描写も最低限にして淡々と物語を進めてゆきます。

当人たちにとっては突然訪れた生死に関わる大きな不幸であっても、大自然の中ではいかに人間が無力であるかという"現実"を感じさせるのです。

本書の主人公である久蔵は、広島県川尻町(現在は呉市に編入)に生まれ、1810年(文化7年)に船乗りとして大阪から江戸へむかう千石船に乗り込みますが、荒天で破船し、カムチャッカ半島まで漂流、ロシアにより3年後に蝦夷に送還され、さらに翌年故郷に戻っています。

なぜこれほど詳細に彼の足跡が分かるかといえば、久蔵自身がこのときの体験を「川尻浦久蔵 魯斉亜国漂流聞書」という記録に残していたからです。

彼は船乗りになる前に禅寺で修行していた時期がある一風変わった経歴を持ち、農民の出自でありながら文章を書くことが出来たのです。

また同時に彼が日本へ初めて西洋式種痘法をもたらしたことがその記録から明らかになり、いわば郷土の歴史に埋もれた江戸時代の人物を作者が偶然に耳にしたことから本作品が生まれました。

教科書に載っているような歴史上の有名人を主人公にした歴史小説と対極に位置する作品ですが、ストーリーの濃厚さでは決して引けを取りません。

前述したように久蔵たちの載った観亀丸は漂流ののちカムチャッカ半島に漂着しますが、そこは北海道よりはるかに北に位置する土地であり、厳冬の時期にそこへ足を踏み入れた彼らはさらに過酷な状況に陥ることになります。

多くの仲間を失いながらもロシア人に救出された久蔵は、そこで異文化と接触することになり、ロシア人医師に凍傷にかかった足を手術してもらうことになります。

やがて帰国の夢が叶う久蔵ですが、当時たとえ漂流といえども鎖国政策を続けていたた日本では、異国人と接触した経歴をもつ者は罪人に等しい扱いを受けることになります。

江戸時代の農民出身の久蔵が体験した数々の苦難は波瀾万丈なものであり、読者はその物語に引き込まれてゆくのです。