本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

貧乏物語



タイトルに「貧乏物語」とありますが、自身の貧乏経験のエッセーでも誰かの貧乏生活を小説化した作品でもありません。

本書は1916年(大正5年)に大阪朝日新聞で連載された、「貧困」及び「格差社会」を取り上げ、その対策を経済学の見地から論じた記事であり、当時の社会に大きな影響を与えたと言われています。

日本に限らず資本主義による産業化、近代化の中で人びとの生活は便利になってゆきます。

一方で先進国と言われたヨーロッパやアメリカにおいていかに貧乏人の割合が多いかを統計的に紹介し、その状態は日本においても同じであると論じています。

本書で定義されている「貧乏」とは、現代でいえば「ワーキングプア」のことであり、労働に従事していながら必要最低限の健康な生活を送ることも難しい人びとを指しています。

この連載が始まる5年前に石川啄木
「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」
という有名な歌を出していますが、まさしくこうした状況にある人びとが「貧乏」なのです。

今でも多くの「ワーキングプア」や「格差社会」を取り上げた本が出版され続けていますが、本書を読み進めると100年以上前の状況とほとんど変わっていないことが分かります。

たとえば現代では上位1%の富裕層が世界の個人資産の4割近くを保有していると言われますが、この時代のイギリスにおいても上位2%の富裕層が国内資産の72%を保有しているという数字が紹介されており、今も昔も驚くほどその数値が似ています。

著者のこの状況の原因を、無用のぜいたく品がどしどし生産されているため、生活必要品の生産力が不足し充分に供給されていなくなっている点にあるといしています。

そしてこの問題を根本的に解決するためには、金持ちが奢侈(しゃし)をやめて生活必要品が全員に行き渡るようにすることだとし、そのための政策や教育・啓蒙の必要性を訴えています。

現実的な方法ではないと当時から批判する人もいたようですが、たしかに私の目から見ても実現性に乏しいように思えます。

ただし巻末で解説されているように、本書の価値は日本の経済学においてはじめて貧困問題を真正面から取り扱ったという古典的な価値にあります。

新聞で連載されただけあり、経済学用語による難解な表現は少なく、多くの人が理解できるように書かれている努力がされていて、当時の新聞購読者の1人になったつもりで読んでゆくと当時の時代背景も見えてきて興味深い点がたくさん出てきます。

著者の河上肇はのちに日本共産党に入党して投獄されたり、そこから考えを転向させたりしていますが、その根底にあったのは学問的に貧困問題を解決するための方法を模索することにあったのではないでしょうか。

天地人 (下)



直江兼続を主人にした「天地人」下巻のレビューとなります。

前回は上杉景勝・直江兼続2人の主従関係が、戦国時代においていかにユニークであったかを紹介しましたが、戦乱の世にあって彼らが絶体絶命のピンチに陥ったのは2回あります。

1つ目は、跡継ぎを決めることなく急逝した謙信の後継者を巡る戦い(御館の乱)です。

家督を争った景勝と景虎はいずれも謙信の養子でしたが、景勝が謙信の姉である仙桃院の子であり、景虎は北条氏康の七男でした。

この2人の争いは謙信の家臣団、つまり越後の豪族たちが真っ二つに分かれて対立しますが、景虎には北条家、さらに北条家と同盟関係にある武田家の援護が期待できる立場にあり、実際にこの両家が景虎を援護するために越後へ侵攻してきます。

劣勢に回った景勝・兼続主従がどのようにしてピンチを乗り切ったのかは本作品を読んでの楽しみとなりますが、外から見ればこれは上杉家内で起きた大規模な内乱です。

つまり、ようやく勝利して正当な後継者となった上杉家の勢力は大きく衰退し、この内乱を好機と見た織田家をはじめとした周辺勢力によって領土も大きく失うことになりました。

戦いに勝利して2人は上杉家を率いることになりますが、謙信時代から比べて大きなマイナス地点からのスタートになってしまうのです。

2つ目は、関ヶ原の戦いの前夜に行われた徳川家康による会津征伐です。

豊臣秀吉、前田利家が立て続けに亡くなった後、五大老の1人という枠を超え徳川家康の存在が大きくなります。

それに対抗したのが秀吉の家臣であった石田三成でしたが、彼は政局に混乱を引き起こした責任をとって蟄居することになります。

兼続はその三成を盟友としていたため家康から詰問を受けることになりますが、それに真っ向から反論したのが有名な直江状です。

その結果、家康が会津討伐を決行し上杉家は10万以上の軍勢を迎え撃つことになります。

景勝にとってみれば兼続のとった方針で存亡の危機に陥ることになりますが、それでもその信頼が揺るぐことはありませんでした。

多くの大名家が自家の存在や利益を第一優先とし、より強大な勢力になびくのが自然という考えの中で、自身の信じる正義を貫き通した2人の姿は一陣の爽やかな風のような存在として印象に残ります。

また著者の火坂雅志氏が新潟出身というこもとあり、忍耐強くある意味で頑固な2人のルーツにあるのは雪国人の気質にあると示唆している部分からは郷土愛も感じられるのです。

天地人 (上)



2009年に同名の大河ドラマ「天地人」の原作になった火坂雅志氏による直江兼続を主人公とした歴史小説です。

直江兼続は多くの歴史小説に登場しますが、私個人は大河ドラマを見ておらず本作品を手に取るのも今回が初めてです。

上杉景勝、直江兼続の2人は、6歳の頃より雪深い越後上田庄(現在の南魚沼市)で主従関係であると同時に幼馴染として育ちました。

やがて御館の乱で勝利し、謙信の後継者となった景勝は、兼続を家老に任命するとともに間もなく単独執政体制として彼に上杉家の舵取りを一任します。

景勝は兼続の意見を退けることなくすべてを任せ続け、兼続は上杉家を私物化することなく景勝の忠実な家臣であり続けたのです。

この2人の主従関係は他の戦国大名には類を見ないユニークなものです。

たとえば信長は家臣を自分の道具として役に立つかどうかで判断する人物であり、秀吉や家康にも信頼する家臣はいましたが、特定の家臣にすべてを委ねるようなことはしませんでした。

大名として家臣にすべてを任せるだけでなく、たまには自分の意見を押し通したい場面も出てくるのが普通ですし、絶対的な権力を与えられている家臣の立場であれば、自分の能力を過信して主人をないがしろにする場面があってもおかしくありません。

ともかく決して切れない太い綱で結ばれたかのような2人の絆は生涯にわたって続くことになります。

ちなみに性格も正反対であり、景勝は寡黙で内向的な性格であり、兼続は弁が立ち他者とも積極に交わる外交的な性格だったというのも面白い点です。

2人が戦国時代の中で上杉家が生き残るために手本としたのが、先代の謙信です。

しかし2人には、自らを毘沙門天の生まれ変わりだと信じ、周囲の大名から"軍神"として恐れられた謙信のような戦の才能はありませんでした。

そこで2人がお手本にはしたのは、謙信が大切にした「」という理念であり、本作品では次のように解説されています。
義とは、儒学でいうところの仁義礼智忠信、いわゆる五常のうちのひとつである。
すなわち、私利私欲を捨て、人との信義を大切にし、公の心をもって事に当たるということにほかならない。

そして謙信は次のような言葉を残しています。
「依怙によって弓箭(きゅうせん)は取らぬ。筋目をもってどこにでも合力いたす」

つまり自身の好き嫌いで戦はせず、道理が通っているのであればどこにでも駆けつけて力を貸すというものであり、誰もが利を求めて戦を繰り広げている戦国時代において、その行動指針もユニークさが際立ちます。

それは私利私欲のため権謀術数を張り巡らせて世の中を渡るよりも、正しい考えに基づいて行動すれば大きく道を誤ることはない、もし万が一それによって上杉家が滅亡することになっても天下へ対してやましい気持ちや悔いが残ることはないという考えがあるような気がします。

ともかく本作品は、名コンビが戦乱の世を渡りぬいてゆく大スケールでダイナミックな物語なのです。

再び男たちへ



歴史小説家である塩野七生氏によるエッセーです。

塩野氏は多くのエッセーを出していますが、タイトルから推測できる通り「男たちへ」というエッセーの続編となります。

本作品は著者自身の日常を綴ったエッセーというより、時事問題、とりわけ政治や社会問題を扱ったテーマが多いのが特徴です。

やはり歴史小説化ということもあり、歴史から学ぶという視点から時事問題を切っており、特に著者が作品として扱っているローマ帝国ヴェネティア共和国を例として取り扱っている点が特徴です。

この2つの国はいずれも1000年以上に渡って繁栄したという共通点を持っており、その統治範囲も広範囲に及びました。

ただし本書が発売されたのは1991年であり、本書の内容は今から30年以上前の時事問題を扱っていることになりますが、当時の出来事と照らし合わせて読むことでより楽しめるのではないかと思います。

例えばこの頃から議論されるようになった日本への外国人労働者や移民の受け入れという問題がありますが、ヴェネティア共和国は異国民との交易で繁栄しながらも、ヴェネティア本国に住む住民以外、たとえ地理的に近い北イタリアの貴族であっても国会の議席すら与えず、本国の政治には一言も口を挟むことを許さず純血主義を守り抜いたといいます。

ただしこれは著者が外国人受け入れを否定している訳ではなく、開国路線、鎖国路線のいずれを選ぼうが、国家の延命にはほとんど関係のない分野の政策であると断じてます。

その他にも当時はまだソ連が健在だったため共産主義を論じてみたり、年功序列制から実力主義・能力主義へ切り替わってゆく流れの是非について、企業文化などさまざまな題材を取り上げています。

それでも世界の中における日本の在り方、さらには未来に向けての提言という点では共通しており、この本が発表されたときの日本はバブル最盛期の時代でした。

その中にあっても著者は当時の日本の経済力を称賛するというより、経済的な成長にのみ視点が行っていまい浮かれている当時の状況を憂いているかのような内容であり、このときの著者の懸念が現実となったことがよく分かります。

むしろ経済成長が終わりを告げ、経済大国の地位を失いつつある今の日本にとって示唆に富む1冊になっているように思えます。