檀
昨年夏に檀一雄氏の「火宅の人」をレビューしましたが、そこでは自身が家庭を顧みず愛人を作り、破滅的な生活を送る日々が赤裸々に描かれています。
彼は太宰治や坂口安吾といった作家たちとともに無頼派と呼ばれ、実際に交流もありましたが、2人が早逝したこともあり、こうした生活を送ってきた背景の1つには、自身が「最後の無頼派」という矜持も理由の1つにあったのかも知れません。
本作品は檀一雄が1976年に亡くなり17周忌を終えた年にノンフィクション作家である沢木耕太郎氏が未亡人である壇ヨソ子の元を訪れて、週1回の頻度で約1年間に渡り取材を続けたものが書籍化されたものです。
つまり沢木氏は檀一雄の十七回忌が終わり、遺族たちの気持ちに一区切りついたと思われるタイミングを見計らって、かねてより興味があった"檀一雄の妻"への取材を開始したということになります。
ちなみに「火宅の人」は20年間にわたり断片的に発表され続けた私小説を1つの作品としてまとめたものであり、発表された時期によっては自身がリアルタイムに愛人と同棲している様子をそのまま描いており、そうした意味でも当時は世間を賑わせました。
夫が愛人を作って家を飛び出すという出来事自体は、昭和の時代においては珍しくないのかも知れませんが、檀一家には5人の子どもが残され、しかも次男は日本脳炎の後遺症によって日常的な介護が必要な状態でした。
一雄は女性関係同様に金使いも奔放だったこともあり、家計はつねに火の車でしたが、ヨソ子にとってもっとも辛かったのは、彼の作品を読んでいる近所の人から「夫を愛人に奪われた妻」という視線で見られることだったといいます。
とくに無頼派と言われた一雄にとっての私小説とは、自身や家庭での醜態を含めてすべてをさらけ出すことであり、それを作家としての宿命だと考えていました。
一方でヨソ子にとっては自分のことに留まらず、非行で捕まった長男や寝たきりの次男の病状とその死までもを赤裸々に描かれるのは耐え難いことだったに違いありません。
実際にヨソ子は何度も一雄との離婚を考えたそうですが、そうした心情が少しずつ変化してゆく過程も細かく描かれています。
また「火宅の人」ではおおむね愛人の恵子(実名:入江杏子)との出会いから別れまでが描かれていますが、本書では小説以前のヨソ子と一雄との出会い、そして小説が完結した後の一雄が恵子と別れてからの日々、さらに博多湾の能古島へ移住し、一雄が体に異変を感じ初めて亡くなるまでの出来事に言及しており、まさしく一雄の妻としての期間がすべて描かれている点は注目です。
ちなみに本書は面白い手法が取られており、一貫してヨソ子の視点、つまりヨソ子自身が著者であるかのように書かれています。
多くの出来事がありながらもそれらを乗り越え、結果として死を看取るまで付き添った夫婦の絆を読者へ伝えるためには、作家といえども所詮は他人である沢木耕太郎という立場では限界を感じたのでしょう。
そして結果的にこの試みは成功したといえます。
