レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

火宅の人(上)


火宅の人」は檀一雄氏の代表作とされる私小説的な作品であり、20年間にわたり断続的に発表され続けました。

タイトルにある"火宅"という言葉はあまり聞き慣れないですが、仏語で煩悩や苦しみに満ちた現世を火炎に包まれた家に例えた言葉です。

檀一雄といえば太宰治、坂口安吾らと深い交友があったことで有名であり、従来の道徳観や価値観にとらわれない無頼派と呼ばれる作家グループの1人としても知られています。

当時の作家たちの中には、作風もそうですが私生活でも自由奔放に生きた人が多く、まさしく檀一雄がそれに当てはまります。

作品中には自らの家庭の状況が赤裸々に語られています。

長男の一郎は非行に走り、次郎は日本脳炎の後遺症で全身麻痺で寝たきり、三男の弥太、長女フミ子、次女サト子はまだ幼く、5人の子どもを抱えて大変な状態ですが、主人公(著者自身)は毎日のように飲み歩き、滅多に家に寄り付かないという生活を送っています。

そんな夫の行状を見かねた妻は家出騒ぎを起こします。

それでも主人公の行状が改まることはなく、女優の卵である恵子と新たに住居を構え、仕事での行事にも妻ではなく恵子を同伴させるといった具合で、家庭生活はほぼ崩壊しているような状態です。

当然のように結果として作品中で描かれる毎日の生活は、家庭中心ではなく、愛人・恵子との日々が大半を占めるようになります。

けっして主人公自身に常識や道徳概念が抜け落ちているわけではなく、自らの行いを客観的には自覚しながらも、それを改めることを拒否している態度です。

主人公は1日中ビールかウィスキーを飲んでいるような大酒飲みであり、シラフでいる時の方が少ない状態であり、さらに突発的にどんちゃん騒ぎを始めたり、思いつきで1ヶ月単位でふらりと旅に出かけたりと、とにかく1か所で落ち着いて生活を送るということが皆無なのです。

基本的には、こうした放蕩を尽くす日々が文庫本で上下巻800ページ以上にも渡って描かれ続けています。

一見すると完全な社会不適合者にしか見えませんが、やはり彼の作家という技量が本作品を単なる放蕩日記ではなく、後世に評価される文学作品に昇華させているのです。

作家という職業は程度の差こそあれ、作品を生み出すために自らをさらけ出し、そのために身を削るような苦しみが求められるものだと思います。

著者の場合、そうした仕事を続けてゆく中で火宅の中に身を置き続けることが必要不可欠な儀式であり、たまたま太宰のように愛人とともに入水自殺による最期を迎えた結末とは違った方向へ進んだに過ぎないのです。

こうした日々に1つの転機として訪れるのが、家庭や愛人と離れて向かった半年間に及ぶヨーロッパへの取材旅行であり、後半へと物語は続いてゆきます。