レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

火宅の人 (下)


檀一雄氏の代表作であり遺作でもある「火宅の人」の下巻のレビューです。

5人の子どもを抱えた妻のいる自宅へは滅多に立ち寄らず、毎日のように飲み歩き愛人の恵子と同居していた主人公でしたが、出版社の協力もあり、半年間のヨーロッパ取材旅行へと単身向かうことになります。

主人公はサンフランシスコ、ニューヨークを経てロンドン、パリ、さらにはスペインやイタリアにも足を伸ばします。

著者の逞しい一面として、どの街を訪れても言葉が通じる通じないは関係なく繁華街の大衆酒場を訪れては大いに飲み、ときには市場で食材を買い求め自分で調理したりする適応能力です。

檀氏は美食家としても知られており、過去に国内外の名物料理を紹介したエッセイ「美味放浪記」を本ブログでも紹介しています。

もちろんと言うべきか、主人公はこのヨーロッパ旅行の最中に"もと子"という日本人女性と愛人関係になっています。

このヨーロッパ旅行を境に、主人公近辺の様子が少しずつ変わり始めてゆきます。

毎晩のように飲み歩く放蕩の生活は相変わらずであるものの、長年の愛人・恵子との間に少しずつ距離ができ始め、お葉という新しい愛人と九州旅行へ行ったり、さらに全身麻痺で寝たきりだった次男・次郎が急死するという悲しい出来事が重なります。

さらに追い打ちをかけるかのように、長年の不摂生な生活の影響で体調にも異変が起きてきます。

それでも主人公は今までの行いを後悔するどころか、その放蕩はさらに激しさを増してゆくのです。

紛れもなくかつての盟友であり、今は亡き太宰治や坂口安吾と同じく破滅的な運命を辿ることになるのですが、その胸中には我が人生の「夏は終わった」という一抹の寂しさが残るものの、最後には「これが我が生きざま。自分のために祝杯をあげろ」という愉快な気分が湧いてくるのです。

つまり主人公ははじめから自業自得、身から出た錆、当然の報いといったことは百も承知の上であり、死の床にありながらも完成へ辿り着いた本作品終盤でここまで断言できるのは、作家・檀一雄の意地と存在感を感じずにはいられません。

火宅、つまり煩悩という業火の中で己の身を焼き尽くしながら執筆を続けた作品であり、そこからは私小説の枠を超えた大きなテーマを感じます。