孤独な噴水
吉村昭氏によるボクシングをテーマにした長編小説です。
吉村ファンであれば彼がかつて熱心なボクシングファンだったことはよく知られていますが、本作品は1995年に文庫化されたものの、実際はその31年前(1964年)に発表済みの彼にとってはじめての長編小説になります。
著者はあとがきで作品の文庫化にあたり、強いためらいがあったと告白しています。
それは1995年時点で読み返してみると文章にある種の衒気(げんき)があり、気恥ずかしさを感じるからだとその理由を語っています。
ちなみに衒気とは自分の才能を見せびらかす虚栄心のような意味合いです。
実際に読んでみて、著者自身が背伸びをして執筆したという印象は受けませんでしたが、後に発表される数々の作品と比べて明らかに作風が異なるのはすぐに分かりました。
吉村昭といえば情景を淡々とかつ精密に描写してゆく作風でお馴染みですが、本作品はストーリーそのものを丁寧に補足するための心理描写や登場人物のセリフが多く、どちかと言えば吉村氏らしさのない一般的な小説という印象を受けました。
それでも小説化にあたっての着目点については共通する部分があると感じました。
ストーリーは問題を抱える家庭に育ち、人生の目標もなく玩具工場で働く毎日を送っているところに東京の下町でたまたま見つけたボクシングジムへ主人公が入会するところから始まります。
そこが弱小ジムということもあり、私自身は完全に「あしたのジョー」に登場する"丹下ジム"を想像しながら読んでしまいました。
一方でストーリー自体はマンガのように劇的な内容ではなく、登場するジムの会長やトレーナー、先輩や練習仲間たちの描写にはリアリティを感じる描写になっています。
つまり主人公がのちに世界チャンピオンへと上り詰めるような華々しいストーリーではなく、どこにでもいそうなボクサーを主人公にしている点に著者らしさを感じるのです。
著者は本作品を書き上げるために何軒ものジムを訪れて試合にも足繁く通ったといいますが、だからこそ描くことのできる生々しさが作品全体から漂ってきます。
恵まれない家庭環境にある主人公には常に孤独と影がつきまとい、それが新たな闇を呼び寄せる結果になりながらも、その中で必死に自分自身の青春を追い求める姿には痛々しさを感じます。
ちなみに本作品発表当時の著者はまだ専業作家として生活できる状況ではなく、毎日の会社勤めをしながらの執筆だったといいます。
そう考えると作品中で描かれている主人公の心理は、当時の著者自身が抱えていた心理を間接的に幾らかでも反映したものであるのかも知れません。
