レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

日本人と天皇



副題に「昭和天皇までの二千年を追う」とある通り、今や日本でもっとも著名なジャーナリストの1人である田原総一朗氏が、歴代天皇を中心に約2000年に及ぶ日本の歴史を1冊の本にまとめたものです。

400ページ以上になる単行本ですが、それでも「日本書紀」に記されている神話時代から続く天皇の系譜を網羅するためには紙面が圧倒的に足りないため、「通史」というよりも「年表」と呼ぶ方が相応しいかも知れません。

太平洋戦争の終戦を迎えたとき、著者の田原氏は小学5年生だったそうです。

それまで学校の教師から、天皇は絶対的な存在、つまり現人神であり、「天皇陛下のお顔を見ると目がつぶれる」とさえ言われていたそうですが、終戦を挟んで2学期に入ると、教師たちの言葉が180度転換し、今度の戦争は正しくなかった、アメリカ、イギリスをはじめとした連合国の言っていることが本当は正しいと言われるようになりました。

わずかな時間で大人たちの言葉が白から黒に変わったという体験は、田原少年にとって大変ショックだったようで、それ以来、大人たちの言うことが信用できなくなったことを告白しています。

団塊ジュニア世代の私は、当然のように"天皇=現人神"という感覚は持ったことがなく、戦後の「日本国の象徴としての天皇」しか知りません。

熱心な皇室ファンでもない私は皇居へ一般参賀した経験もなく、天皇を間近で見てみたいという欲求さえ起こりません。

そもそも"象徴"という単語自体に形を実感できない、ぼんやりしとしたイメージしか持っていない日本人は多いのではないでしょうか。

それでも本書を読み進めてゆくと天皇の歴史を紐解くことが、そのまま日本の歴史を紐解くことに直結することを少しずつ実感してゆくことができます。

つまり天皇の歴史を知ることが、「なぜ天皇が日本国の象徴なのか?」という疑問を解決するのにもっとも近道なのです。

戦前には史実とされた「日本書紀」や「古事記」では、天皇は天照大御神の子孫として位置付けられていることは広く知られていますが、古代には"天皇"という言葉すらなく、ともかく神話と歴史が並行する混在する、史実がはっきりとしない時代が長く続き、実在がはじめて確認できるのは、5世紀後半に登場する第21代・雄略天皇からだといわれています。

「日本書紀」をはじめとした書物自体が天皇を中心とした一族によって編纂されたものである以上、天皇が正当な統治者と定義されるのは当然ですが、日本で最初に国家と呼べる程度の実力を持った一族の系譜が、そのまま現在の皇室にまで続くという考え方はかなり有力です。

古代において天皇は権威と権力を兼ね備えた強力な存在でしたが、その地位は必ずしも安泰ではなく、権謀術数により兄弟・肉親の間で多くの血が流されました。

その後、朝廷内の争いを平定し、安定した中央集権体制を築いたのが7世紀の天智・天武天皇でした。

いわば2000年の歴史の中で、この両天皇の時代に天皇の権力が絶頂期を迎えたことになりますが、藤原氏を筆頭とした貴族たちの摂政・関白政治によって、その権力が緩やかに下降してゆくことになります。

やがて10世紀に入り、下級貴族であった源氏、平氏が台頭するようになり、天皇権力の失墜は決定的になります。つまり武士の時代が幕を開けるのです。

源平両氏は天皇の地位を強奪することはしませんでしたが、摂政・関白の地位を得るだけでは満足しませんでした。

領地と配下の武士たち、いわば武力を背景にして実質的な支配力を手に入れたのです。

源頼朝は平氏との争いに勝利し、武家政権の象徴ともいえる幕府を鎌倉に開きましたが、この慣習がそれ以降、室町時代から江戸時代に至るまで続くのです。

この長い中世から近代に至るまでの間、露骨な言い方をすれば、武士(時の権力者)は都合の良い時だけ天皇の権威を利用し、とくに利用価値が無ければ織田信長のように天皇の存在をほとんど無視したり、自分に対して批判的な天皇の場合には、その首をすげ替えることさえ躊躇せず実行しました。

それは維新により明治政府を作り上げた首脳陣たちさえ例外ではなく、長く続いた武士政権を葬るために、天皇という権威を"大義名分"として利用したのです。

明治から昭和の終戦に至るまで、憲法上では天皇は国家の大権を有していましたが、実質的には近代的な議会・官僚政治、ないしは軍部による政治が続きました。

つまり憲法上では軍の統帥権をもっていた天皇が、現実にその権限を発動することは出来なかったのです。
明治天皇は日中・日露戦争に反対であり、昭和天皇も日中、太平洋戦争に反対したにも関わらず、戦争を止めることが出来なかったです。

いわば田原少年のように国民たちが現人神として崇めた天皇は、近代に入ってからも「象徴」であり続けたのです。

やがて日本がポツダム宣言を受け入れ敗戦を迎えた時にも、マッカサーは天皇を戦犯として裁くことなく、「天皇制」を維持し続ける方を選択しました。

著者はそれを次のように書いています。

占領軍は占領政策をスムーズに進めるために天皇を利用することにしたのである。
確かに、もしも天皇を裁判にかけ、天皇制をなくしていたら、日本国内は混乱し、収拾のつかない事態となっていたのではないか。その意味で、マッカーサーたちは、日本人というものを非常によく掴んでいたといえる。

これはマッカサーさえも、源頼朝や織田信長といった歴史上の権力者と同じ手段を選択したといえます。

本書を読み終えても、2000年にもわたり君臨しつづけた「天皇」の存在を明確に定義することは難しいというのが結論です。

もしかして「2000年にわたり君臨しつづけた」という事実そのものが、「象徴」たるに相応しい何よりの理由なのかもしれません。

著者の田原氏は歴史の専門家ではなく、ジャーナリストです。

ジャーナリストの本質は情報を伝達することであり、本書はかなりのボリュームであるに関わらず、一般読者が充分に理解できる分かり易い内容で書かれています。

そのため天皇を中心に据えた日本の歴史を把握し、さらにより深く理解する手がかかりとして非常に有用な1冊といえます。