レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

遅れてきた青年


ある青年の前半生を描いた大江健三郎氏による長編小説です。

本書は二部構成になっています。

第一部では山村で生まれ育ち、その中で終戦を体験した少年期が、そして第二部では上京し東大生として過ごす青年期が描かれています。

しかも第一部と第二部の間には数年のブランクがあり、主人公はその間、教護院で過ごすという設定になっています。

外面上からは少年の頃に非行に走った主人公が一念発起して東大に合格し社会的成功を収める立身出世の物語ですが、実際の小説から受ける印象はだいぶ異なります。

タイトルの"遅れてきた"は、主人公が抱き続ける気持ちを表現したもので、より具体的には終戦(敗戦)によってアメリカの進駐軍によって占領され、戦争に参加する(戦場で天皇陛下のために勇敢に戦って死ぬ)機会を永遠に失ってしまった少年の行き場のない怒りや悲しみです。

それは東京という大都会で暮らすようになったのちも埋まらず、主人公の心情の不安さ、そして自由によってこの不安から解放されようとする渇望が、時には無謀ともいえるような行動につながってゆきます。

本作品は1962年に発表されていますが、著者はこの作品を1960年代の青年を読者に想定して書いたと解説にあります。
こうした若者たちへ対して反倫理的とも言える内容を含めて強烈なメッセージを伝える手法は、著者と同世代の作家である石原慎太郎氏と共通しています。

私にように1960年代に生まれてさえいない世代にとっては、若者が放つ強烈で混沌としたエネルギーは理解できても、本質的に主人公の持つ価値観に共感することが難しいように思えます。

ある時代を考察する上で、当時の若者たちへ大きな影響を与えた作品の1つという文学的な位置付けは出来ると思いますが、読者としては小説として純粋に楽しむことが出来れば充分ではないでしょうか。

大江氏は本作品を「フィクショナルな自伝」と紹介しており、自らの内的な体験を一青年の視線から描いている手法は、大江氏初期の作品に共通しています。