五郎治殿御始末
浅田次郎氏の時代小説が6篇収められた短編集です。
- 椿寺まで
- 函館証文
- 西を向く侍
- 遠い砲音
- 柘榴坂の仇討
- 五郎治殿御始末
本を開く前から浅田次郎の短編集が鉄板の面白さであることを分かっていることもあり、今回はどのようなテーマで短編集がまとめられているかを楽しみにできる心の余裕がありました。
そのテーマはズバリ"御一新後の武士"です。
つまり江戸から明治へ世の中が移り変わり、表面上消滅してしまった"武士"のその後の物語が描かれています。
浅田氏は生まれも育ちも江戸っ子ということもあり、勝者となった薩長の志士よりも、やはり敗者となってしまった幕府側の武士を描く方が似合っており、作品に登場するのはいずれもそうした立場にいた武士たちです。
有史以降、大きな時代の転換期を経験した人間はそう多くはありません。
腰に差す大小の両刀から丁髷、そして仕えるべき主君といった価値観、そして生活してゆくための禄高に至るまでをほとんど一瞬にして失った江戸から明治を迎えた武士たちは、まさに時代の大きな転換期を迎えた日本人でした。
「椿寺まで」では、自らの過去を隠して商人へ転向した武士が主人公であり、「函館証文」では維新前に残した証文を巡って四人の武士が登場し、「西を向く侍」はかつての天文方に出仕していた主人公が明治改暦(太陰暦から太陽暦への改暦)に遭遇する物語が書かれています。
その他の作品も同様ですが、自分たちを時代の波に乗り遅れた人間だと認識した彼らから漂う悲哀が読者を惹きつける魅力になっています。
そしてこうした作品に惹きつけられるのは若者ではなく、やはり中年以降の読者ではないでしょうか。
程度の差こそあれ、時代の流行りについてゆけない人間というのはいつの時代にも存在するものです。
例えばインターネットやスマートフォンといった急速に普及したテクノロジーに馴染めない、最新の流行曲や芸能界に疎い、その他にもグルメやファッションなど分野は多岐にわたりますが、少なからずそうした自覚がある私にとって本書は主人公たちの悲哀が伝わってくるとともに、心温まる作品でもあるのです。