修羅の剣(上)
津本陽氏のもっとも得意とする剣豪小説です。
主人公は幕末に実在した天才剣士・仏生寺弥助ですが、その実力の割にはあまり有名ではありません。
幕末の有名な剣士といえば坂本龍馬や桂小五郎に代表されるように志士として活躍する人物といった印象が強く、幕府側で活動した新選組でさえ相当に政治的な性格を帯びていました。
さらに人斬りといわれた中村半次郎、田中新兵衛といった剣士たちも政治的な任務を帯びて暗躍することが殆どでした。
その中にあって越中氷見仏生寺村の貧しい農家出身であった弥助は、当然のように苗字帯刀を許された身分ではありませんでした。
もちろん幕末に武士でなくとも活躍した人物は沢山いましたが、弥助はひたすら剣術を極めるための日々を送ります。
彼の名字も出身地からそのまま拝借したに過ぎなく、たまたま天賦の才能を見出され、同郷の縁で江戸四大道場の1つ斎藤弥九郎の練兵館に入塾することになります。
実在したとはいえ残された史料の少ない弥助ですが、剣豪小説の第一人者である津本氏によって見事に肉付けされた重厚感のある作品となっています。
下働きや使役へ駆り出され虫けら同然のように扱われる弥助に一筋の光明をもたらしたのが剣術でした。
やがて江戸に出て練兵館で本格的な修行を行うようになってからも読み書きが出来ない弥助は、攘夷論や開国論で沸騰する同僚たちを横目に、消えない劣等感を抱きつつより一層剣術に打ち込むことになります。
彼は出世して名を挙げるという大きな野望を抱かず、自らの境遇と似た女性へ恋をして小さな幸せを築ければそれで充分だったのです。
一方で他流試合や真剣での戦いにおいても無類の強さを誇った弥助は、いつの間にか師匠(斎藤弥九郎)や若師匠(新太郎・歓之助)の腕前さえも凌駕しつつある自分に気付きます。
慕ってくれる若い道場生がいる一方で、学問がないことを理由に軽蔑の視線を向けてくる同輩や先輩がいることで弥助は居心地の悪さを感じるようになります。
剣術を足掛かりに栄達しようという野望を持たなかった一方で、心の奥底にある武士階級への嫌悪を暗い炎のように抱きつ続けた仏生寺弥助の生涯からは剣豪が持つ一種の凄みが伝わってくるのです。